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瀬戸内海の中央に位置大小の島々に囲まれた愛媛県大三島にあり、西瀬戸内海自動車道通称しまなみ海道の大三島ICから西へ4キロほどゆくと、神体山鷲ヶ頭山の麓、天然記念物に指定されている日本最古の原始林社叢楠群におおわれた境内に鎮座しています。
大山祇神社 所在地 愛媛県今治市宮浦 祭神 大山積神 (オオヤマツミノカミ) 社格 旧日本総鎮守、旧国幣大社 旧伊予国一の宮 延喜式明神大社 神社本庁包括別表神社 神門 由緒 祭神大山積神は天照大神の兄神で山の神々の親神にあたり天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神に当たる、日本民族の祖神として和多志大神と申し上げる。 海上安全の守護神である 地神海神兼備の大霊神として日本国土全体を守護し給う神であることから、古代日本総鎮守と尊敬され朝廷国民の崇敬は各時代を通じて篤く中世には四社詣で、五社詣での中心となり平安時代すでに市が立ち現在に続いている。 総分社10000余社に祀られ延喜式明神大社に列せられ伊予国一の宮に定められた、明治以降は国幣大社に列せられ四国唯一の大社として尊崇されている。 「境内案内板より」 拝殿 社殿 本殿 本殿は宝殿ともいわれ三間社流造桧皮葺、 元亨2年(1322)兵火にかかり大授4年(1378)再建されました。 由来 伝承 この地に鎮座した由来については大山積神の子孫小千命(オチノミコト)がこの地に祀ったという説、伊豆国の三嶋大社から分霊を受けたという説、百済から渡来した神であるという説もありますが、摂津国(大阪市高槻)からこの地に遷宮されたというのが主説のようです。 いずれにしろ古い時代から存在した神社です。 日本各地に10000余社ある山祇神社、三島神社の総本山とされていますが、なかには静岡県の三嶋大社の分社といわれ、三嶋大社自体がの分社とする説や、また大山祇神社が三嶋大社の分社だという説もあります 本殿の左右に並ぶ摂社 上津社(上津姫 雷神)下津社(下津姫 高籠神) 末社 十七神社 室町時代の建造物で県の重要文化財、祭神 (諸山積、大気、千鳥、倉柱、轟、阿奈波、比目木邑、宇津、御前、小山、早瀬、速津佐、日知、御子宮、日維、若稚、宮市) 末社 姫子邑神社 祭神 木花開耶姫命とその御子神 子育て安産の神として祀られています。 境内社 荒神社、地神社、稲荷神社、石神社、八重垣神社、御鉾神社、宇迦神社、馬神社 相霊社(江戸末期まで神宮寺というお寺でした、神仏習合の時代です、明治の神仏分離令で神社になったものです) この横に八坂神社、五穀神社があります 年表 推古2年 (594) 摂津国三島江から大三島瀬戸に移る 天宝元年 (701) 現在地大三島宮浦に移る 養老3年 (719) 16年かけ社殿を造営、遷座式行われる 元亨2年(1322) 戦火にあい本殿、拝殿とも焼失 天授4年 (1378) 本殿、拝殿再建 応永34年 (1427) 本殿再建 慶長7年 (1602) 拝殿建築 オオヤマツミの神話での記述 神産においてイザナギとイザナミとの間に生まれた。その後、野の神鹿屋野比売神(カヤノヒメ)との間に四対八神を産んでいる。 ヤマタノオロチ退治においてスサノオの妻となるクシナダヒメの父母、アシナヅチ、テナヅチ(足名椎命、手名椎命)はオオヤマツミの子と名乗っている。その後スサノウの系譜において、ナオヤマツミ神の娘であるカムホイチヒメとの間に大年神とウカノミタマをもうけていると記している。 またクシナダヒメとの間の子、ヤシマジヌミは、オオヤマツミの娘コノハナチルヒメ(木花知流姫)と結婚し、フハノモジクヌスヌを産んでいる。 このフハノモジクヌスヌの子孫が大国主である。 天孫降臨の後ニニギはオオヤマツミの娘、コナハナサクヤヒメと出逢い、オオヤマツミはコノハナサクヤヒメとその姉のイワナガヒメを差し出したが、ニニギが容姿の醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。 wikipedia より
by sinanoo
| 2009-03-07 16:40
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