温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
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浦河の神社 (13) 東幌別八幡神社 
国道236号線をえりも方面に進み、幌別川をこえ左折すると小高い丘の麓に鎮座しています。
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      祭神  八幡神 (応神天皇) 
      所在地  浦河町字東幌別281
      例祭  春5月15日 秋9月20日~21日
   由緒
明治初期に移住者の1人が現在の金石宅前の丘に祠をたて祀ったのがはじまりとされています。(古老からの聞き取りによると明治4年(1871 )金石氏が移住した頃に同宅前に建てられたといいます)
その後、祠は老朽化して1時期取り壊されたと云われていますが、定かではありません。
明治40年(1907)、明治32年に福井から西幌別に移住し同37年に東幌別に居を移し農業経営に力をそそぎ部落の農業経営発展の中心となった、中脇栄吉が所有地3反歩を神社敷地として寄贈し現在地に社殿を建立しました。

祭神がなぜ八幡神なのか、どこから分霊をうけたのかはわかりません。浦河で八幡神を主祭神として祀っている神社は東幌別八幡神社1社です。

 記録に残っている修築
       昭和45年(1970)6月  社殿1部改修
       昭和57年(1992)9月  鳥居建立
       平成7年(1995)  社殿全面改修
       平成14年(2002)  鉄製の大鳥居建立

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奉納されている祭神応神天皇を描いた墨絵、明治34年(1901)11月奉納者幌別村荒木仙冶

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神社建立当時隣部落の鵜苫沢が神社区域に入っており、、祭りには多くの鵜苫沢の住民も参拝に訪れていました。
この提灯は明治年間に鵜苫沢の住民から奉納されたものです。e0104596_1835345.jpg


平成7年(1995)に境内に建立された篝火台1対、例祭の9月20日の宵宮には赤々と篝火が焚かれます。

東幌別八幡神社は、移住者が草生い茂る湿原にいどみ、幾度かの冷害や風水害などの大自然の猛威に悩まされながらも移住者相互の励まし、助け合いのなかで、心の支えとして神社を中心にして「団結力」が培われたのでしょう。
氏子数は48戸ですが、祭りに集まった人達からは「住民の団結力は神社を中心にしてある」との言葉が返ってきました。

 東幌別八幡神社の祭神八幡神について

e0104596_19154720.jpg宇佐神宮の全景
八幡神(応神天皇)の総本社は九州大分県宇佐市にある宇佐神宮です。
八幡神は謎の多い神で記紀神話には登場せず8世紀ごろ突然史書に姿を現し、急速に信仰を広げてゆきました。八幡神を祀る神社は25000社をこえ稲荷社の32000社に続きます。

八幡信仰の発祥は宇佐神宮で、この地は大陸との交流の中継点となっていたことから、大陸の文化が流入して地元の豪族宇佐氏、大神氏の信仰に外来の信仰が習合して生まれた神であろうと考えられており、早くから仏教を習合したのもその性格ゆえと云われています。

宇佐神宮の社伝によれば欽明天皇32年(571)神職に「われは誉田(応神)天皇広八幡麻呂なり」とお告げがあり応神天皇を祭神として祀るようになりました。
なお宇佐神宮には応神天皇の母神功皇后、比売大神も祀られています。

八幡神は養老4年(720)隼人の乱で霊験を現したことで、世に知られるようになり、東大寺大仏の建立を助けたり、神護景雲3年(769)道鏡による皇位簒奪未遂にも重要な役割をはたし、中央でも信仰され皇室の守護神としての性格を強め、また多くの寺院が鎮守として境内に勧請したこともあって、八幡信仰が全国に広まってゆく要因にもなりました。

鎌倉時代以降は源氏が氏神として信仰したため、武士の神として崇敬をあつめました。
現在では弓矢の神、武道の神として崇められています。

庚申塔(こうしんとう)

e0104596_20471431.jpg神社の境内に庚申塔が建てられており、大正9年(1920)5月建立と記されています。
庚申塔は庚申塚とも呼ばれ、中国から伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいてたてられたものです。

庚申信仰は中国の民族宗教道教の伝説によるもので、人間の頭と腹と足に三尺(さんし)の虫がいて、いつもその人の悪事を監視しており、庚申の日(十二支と十支を組み合わせた日)の夜の寝ている間に天に昇って、天帝(えん魔大王)に日頃の行いを報告し、罪状によっては寿命がちじめられたり、、その人の死後に地獄、餓鬼、畜生の三悪に堕されるといわれ、そこで三尺の虫が天に昇れないようにするため、この夜は村中の人達が集まって神々を祀り、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かします。

これを庚申待といい、これを三年十八回続けた記念に建立されるのが庚申塔です。
庚申待は通常部落、村単位などで行われこの集まりを庚申講といいます。

聞き取りによると、東幌別で庚申講ができたのは特定できませんが、明治の終わりごろか、大正の始め頃に、先代の辻恭介がこの講を始め、持ち回りで庚申待を行っており、戦前まで続いていたとのことですが、現在では行われていません。

神社の世話人の方々はこの庚申塔をどのように祀ったらいいのか、頭を悩ませています。

    引用参考文献  拓土幌別  日本史小百科 神社 Wikipedia  新 浦河町史
 





    


 
      
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by sinanoo | 2009-01-06 20:18 | 浦河の神社
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