温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
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浦河の神社 (15) 瑞穂神社
国道235号線、荻伏市街地より野深に通づる道々248号線 野深荻伏停車場線にはいり、牧場の広がる瑞穂、小高い山の麓に鎮座しています。

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           瑞穂稲荷神社 (みずほいなりじんじゃ)

         創祀    明治14年(1881)6月
         祭神    稲荷大明神
         
         所在地   浦河町字瑞穂166番地
         社殿様式  流造
         社殿面積  3坪 
          例祭     9月12日
       由緒  
明治14年(1881) この地に入植していた開拓者が語らい、心のよりどころとして又農耕えの願いを込めて食物、農業の神である稲荷大明神を北俣荘助の所有地の先の山の上に祠を建て奉斎しました。

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明治27年(1894) 姉茶工藤美松によって奉納された額

明治27年(1894)3月15日改築され「稲荷神社」と呼ばれていました。
当時の荻伏村の氏神として住民に広く敬われ、例祭には多くの人々が集まりにぎやかな祭りが行われていました。
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大正4年(1915)9月20日 社殿が老巧化しため社殿を新築しました。
昭和13年(1938)4月 姉茶が瑞穂、姉茶、富里に分区されたため「瑞穂稲荷神社」と改称しました。

昭和31年(1956)4月12日 老巧化した社殿を改築しました。
昭和53年(1978)10月13日 社殿を200㍍下の瑞穂生活改善センター横に移転新築し鳥居を建立しました。

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   瑞穂のはじまり  
瑞穂の開拓の先覚者と云われる平井熊五郎は慶応年間に越前より浦河に移住し明治9年(1876)元浦川に転居、明治12年(1879)西姉茶(現在の瑞穂)にうつり赤松宇衛門とともに奥地の開拓にあたりました。

明治13年(1880)岩手県人北俣荘助は井寒台において漁業に従事していましたが西姉茶に移り住み、平井熊五郎と共に開拓に力をそそぎました。
稲作を試み二年後の明治15年(1882)には反当り1石の収穫をあげ、荻伏村での稲作に先鞭をつけたといえます。
  
明治24年(1891) 越前大野より多数の移住者があり開拓は進み、元浦川の度重なる氾濫による苦難にあいながらも肥沃の地えと変えて行きました。

      参考引用      浦河町史
                  瑞穂自治会長高岸氏から聞き取り     

     
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by sinanoo | 2009-10-01 21:45 | 浦河の神社
浦河の神社 (13) 東幌別八幡神社 
国道236号線をえりも方面に進み、幌別川をこえ左折すると小高い丘の麓に鎮座しています。
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      祭神  八幡神 (応神天皇) 
      所在地  浦河町字東幌別281
      例祭  春5月15日 秋9月20日~21日
   由緒
明治初期に移住者の1人が現在の金石宅前の丘に祠をたて祀ったのがはじまりとされています。(古老からの聞き取りによると明治4年(1871 )金石氏が移住した頃に同宅前に建てられたといいます)
その後、祠は老朽化して1時期取り壊されたと云われていますが、定かではありません。
明治40年(1907)、明治32年に福井から西幌別に移住し同37年に東幌別に居を移し農業経営に力をそそぎ部落の農業経営発展の中心となった、中脇栄吉が所有地3反歩を神社敷地として寄贈し現在地に社殿を建立しました。

祭神がなぜ八幡神なのか、どこから分霊をうけたのかはわかりません。浦河で八幡神を主祭神として祀っている神社は東幌別八幡神社1社です。

 記録に残っている修築
       昭和45年(1970)6月  社殿1部改修
       昭和57年(1992)9月  鳥居建立
       平成7年(1995)  社殿全面改修
       平成14年(2002)  鉄製の大鳥居建立

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奉納されている祭神応神天皇を描いた墨絵、明治34年(1901)11月奉納者幌別村荒木仙冶

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神社建立当時隣部落の鵜苫沢が神社区域に入っており、、祭りには多くの鵜苫沢の住民も参拝に訪れていました。
この提灯は明治年間に鵜苫沢の住民から奉納されたものです。e0104596_1835345.jpg


平成7年(1995)に境内に建立された篝火台1対、例祭の9月20日の宵宮には赤々と篝火が焚かれます。

東幌別八幡神社は、移住者が草生い茂る湿原にいどみ、幾度かの冷害や風水害などの大自然の猛威に悩まされながらも移住者相互の励まし、助け合いのなかで、心の支えとして神社を中心にして「団結力」が培われたのでしょう。
氏子数は48戸ですが、祭りに集まった人達からは「住民の団結力は神社を中心にしてある」との言葉が返ってきました。

 東幌別八幡神社の祭神八幡神について

e0104596_19154720.jpg宇佐神宮の全景
八幡神(応神天皇)の総本社は九州大分県宇佐市にある宇佐神宮です。
八幡神は謎の多い神で記紀神話には登場せず8世紀ごろ突然史書に姿を現し、急速に信仰を広げてゆきました。八幡神を祀る神社は25000社をこえ稲荷社の32000社に続きます。

八幡信仰の発祥は宇佐神宮で、この地は大陸との交流の中継点となっていたことから、大陸の文化が流入して地元の豪族宇佐氏、大神氏の信仰に外来の信仰が習合して生まれた神であろうと考えられており、早くから仏教を習合したのもその性格ゆえと云われています。

宇佐神宮の社伝によれば欽明天皇32年(571)神職に「われは誉田(応神)天皇広八幡麻呂なり」とお告げがあり応神天皇を祭神として祀るようになりました。
なお宇佐神宮には応神天皇の母神功皇后、比売大神も祀られています。

八幡神は養老4年(720)隼人の乱で霊験を現したことで、世に知られるようになり、東大寺大仏の建立を助けたり、神護景雲3年(769)道鏡による皇位簒奪未遂にも重要な役割をはたし、中央でも信仰され皇室の守護神としての性格を強め、また多くの寺院が鎮守として境内に勧請したこともあって、八幡信仰が全国に広まってゆく要因にもなりました。

鎌倉時代以降は源氏が氏神として信仰したため、武士の神として崇敬をあつめました。
現在では弓矢の神、武道の神として崇められています。

庚申塔(こうしんとう)

e0104596_20471431.jpg神社の境内に庚申塔が建てられており、大正9年(1920)5月建立と記されています。
庚申塔は庚申塚とも呼ばれ、中国から伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいてたてられたものです。

庚申信仰は中国の民族宗教道教の伝説によるもので、人間の頭と腹と足に三尺(さんし)の虫がいて、いつもその人の悪事を監視しており、庚申の日(十二支と十支を組み合わせた日)の夜の寝ている間に天に昇って、天帝(えん魔大王)に日頃の行いを報告し、罪状によっては寿命がちじめられたり、、その人の死後に地獄、餓鬼、畜生の三悪に堕されるといわれ、そこで三尺の虫が天に昇れないようにするため、この夜は村中の人達が集まって神々を祀り、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かします。

これを庚申待といい、これを三年十八回続けた記念に建立されるのが庚申塔です。
庚申待は通常部落、村単位などで行われこの集まりを庚申講といいます。

聞き取りによると、東幌別で庚申講ができたのは特定できませんが、明治の終わりごろか、大正の始め頃に、先代の辻恭介がこの講を始め、持ち回りで庚申待を行っており、戦前まで続いていたとのことですが、現在では行われていません。

神社の世話人の方々はこの庚申塔をどのように祀ったらいいのか、頭を悩ませています。

    引用参考文献  拓土幌別  日本史小百科 神社 Wikipedia  新 浦河町史
 





    


 
      
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by sinanoo | 2009-01-06 20:18 | 浦河の神社
浦河神社 騎馬参拝
百年の節目を迎えた恒例の浦河神社騎馬参拝が、穏やかな日の1月2日行われました。

明治43年(1910)日高種畜牧場の入り口に守り神として祀られていた妙見神の祠に、馬に乗って参拝したのが始まりとされ、同牧場廃止後、あとを引き継いだJRA日高育成牧場が中心となり、町内の軽種馬生産者、乗馬愛好家それにポニースポーツ少年団が騎馬参拝実行委員会を組織」し、伝統の行事を行っています。

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守り神の祠があった場所が国道236号線沿いにある西舎神社で祭神の一人に妙見神を祀っていることから騎馬参拝は西舎神社の参拝から始まります。

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今年は100年を記念して騎馬参拝実行委員会が浦河出身の洋画家伏木田光夫さんに依頼して、1対の大型絵馬を制作し赤馬を西舎神社に、白馬を浦河神社に奉納しました。

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参拝後、17頭の人馬は山道を抜け東町の住宅地を通り約13kmの道のりを50分かけて浦河神社に到着しました。

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サラブレット、どさんこ17頭、ポニー少年団12頭の参加者が住民、観光客、牧場関係者、おおくの報道関係者が見守る中、高低差150m、101の石段を一気に駆け上がりました。
まさに迫力あるシーンです。


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石段を駆け上がるポニー少年団の子供達、緊張の連続です。


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石段を駆け上がり神殿の前で、馬上から賽銭を投げ入れ参拝します。

参加者は停滞気味の軽種馬産業が再び上昇のカーブを描くよう祈りを込めていました。
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by sinanoo | 2009-01-03 17:03 | うらかわ いろいろ
浦河の神社 (12) 荻伏神社
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国道235号線を札幌方向に進み元浦川にかかる荻伏橋を渡り、右折して道道荻伏停車場線にはいり、さらに進むと荻伏神社せんと交わり左折して大鳥居をくぐると、元浦川地区を一望できる山の中腹に鎮座しています。

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  旧社格 村社 神饌奉幣料供進神社   神社本庁包括神社  

  祭神 大国魂神(おおくにたまのかみ)  北海道国土の神
      大己貴神(おおなむらのかみ) 大国主の別名 国土神
      小名彦神(すくなひこのかみ) 大国主とともに国造りにつとめたが、常世の国へ           開拓に従事する百姓を救うため医薬、禁厭の法、酒造の技を授けたと云う

 明治2年明治天皇の詔により北海道の守護神、開拓の神として札幌神宮(いまの北海道神宮)に祀られたもので、昭和12年(19379)札幌神宮から分霊を受けました。
  所在地 浦河街荻伏438番地
  例祭   春 4月第1土曜日~日曜日 秋 9月第1土曜日~日曜日
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  由緒
大正13年(1924)5月3日御大典記念(大正天皇即位)に荻伏市街吉田宅裏に地域住民の労力と寄付金により記念園としての神社を建立しました。

荻伏村は明治15年(1882)元浦川流域に赤心社の移民83名が移住し本格的な開拓を始めた村で、それまでは和人16人先住民53人と記されており、移民のほとんどはキリスト教徒で明治19年(1886)に元浦川キリスト教会が創立されており。信仰の面からは神社の必要性はありませんでした。

1930年代から政府は神道は宗教ではないとの解釈にたって、憲法で定める「信教の自由」には矛盾しないと強弁して、神社崇拝の国民への強制の度合いが高まってきました。
昭和6年(1931)におきた満州事変、昭和12年(1937)の日中戦争と戦火が拡大するにつれて国家神道は戦争遂行の精神的支柱」として重視されるようになってきました。
荻伏村も政府、軍部の要請で出征兵士の歓送、戦勝祈願に神社の必要性に迫られ、昭和12年(1937)村社造営奉賛会が組織され昭和13年(1938)3月社務所跡地を建立場所と定め村民536人の手で整備し完成、社殿の建設費用も村民から拠出されましたが、建設費用に届かず、見送られました。

軍部が台頭し戦争の気運が高まる昭和16年(1941)社殿の位置を現在地に変えて荻伏神社の創立許可書を内務大臣に提出、同年8月認可されてふたたび住民の労力で整地し、村費を充て着工し同年11月に完成しました。

神社の敷地2町3反4畝(7290坪)は赤心社から寄贈を受けたものです。赤心社はキリストキ教徒を中心にした会社で、キリスト教は1神教で他の宗教と関わることをタブーとしており、この土地の寄贈については、当時の社会情勢からして断腸のおもいでの決断だったとおもわれます。

昭和17年(1942)3月無格社荻伏神社を村社に昇格する申請を内務大臣に提出8月27日に認可が下り、さらに同年9月北海道長官より神饌幣帛料供進神社に指定され、国家神道を担う神社になりました。
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  昭和16年(1941)に寄贈された狛犬、境内に置かれています。

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神社につづくなだらかな参道、ここから元浦川地域が一望できます。

終戦によりGHQの命令により国家神道が廃止されたため荻伏小学校下の地域で管理運営されてきましたが、昭和31年(1956)の浦河町との合併、字の変更、また20年前から人手不足と神社までの距離がながいことを理由に市街地自治会が神社区域から脱退し、現在は元浦川の3自治会で運営しています。
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 祭りにはこども神輿が街をにぎやかに練り歩き、祭りの雰囲気をもりあげています。
こども相撲も行われています。


荻伏神社の例祭と同じ日に荻伏市街地自治会は「市街地祭典」を生活改善センターを催し住民が集っています。

荻伏神社の歴史は激動の日本の政情に翻弄された一面を持っているとおもいます。
荻伏神社は私がたずねた浦河の神社のなかでも神社の持つ荘厳さ、選りすぐりぬかれた神具、ロケーションのよさは3本の指にはいります。
神社信仰とは別に住民が集い、ふれあう場所を神社のなかに求めることも大切なことかもしれません。

  修築
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昭和49年(1974)2月社殿が老巧化したため、荻伏神社改築期成会が結成され、開拓記念園付近に移転を計画しましたが、費用の関係で中止し、篤志家75人の寄付により社殿の大補修を行い、鳥居の移転、急斜面な参道の改修、神社まで通ずる車道の整備、篤志家の寄贈による鉄製の大鳥居を建立しました。


                引用文献  荻伏100年史  風雪栄光の百年









  
           
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by sinanoo | 2008-12-03 21:34 | 浦河の神社
浦河の神社 (11) 西幌別駅前神社
JR西幌別駅前、ホクレン給油所の裏手、西幌別生活館の敷地に鎮座しています。
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      創立  明治25年(1892)
      祭神  稲荷大明神
      所在地 字西幌別257 西幌別生活館敷地内
      例祭日 14日~15日
  由緒
昭和20年後半駅前地区に戸数が増え、同24年(1949)自治会が結成され、部落に神社をとの要望があり、白泉の中村宅付近にあった稲荷神社を現在の生活館の裏手に移し、西幌別駅前神社として奉斉しました。
浦河の神社としては一番新しい神社です。
昭和30年後半にはいり当時の大谷木工所の敷地〔現ホクチク倉庫)に社殿を移し奉斉していましたが、昭和50年(1975)再び生活館の裏手に移し、さらに昭和50年(1977)年西幌別生活館の敷地内に移し奉斉しています。
街の開発の波に流されての再三の移転です。

平成3年〔1991〕鳥居が老巧化したため鉄製の鳥居を建立しました。
社殿1.5坪 現在自治会の中に神社委員会をつくり、神社の維持管理、祭礼を行っています。
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社殿が造られた年代は神社委員の野口さんにもお聞きしたのですが、はっきりしませんでしたが、施されている彫刻はかなり手の込んだもので他の稲荷神社ではみられないものです。
どう云う意味を持つのか調べています。
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昭和12年(1937)年浦河様似間に鉄道開通し、幌別駅が開設され西舎に通ずる道路の基点でもあるため、駅を中心としていろいろな施設や住宅が数を増してきました。
昭和24年(1949)4月に西幌別駅周辺地区28戸で自治会が結成され以後道路の拡幅整備が行われ、企業の進出、住宅地の開発、天馬街道の開通などにより急速に人口が増え、現在220戸を数えます。

専業農家はわずか3戸で多くは企業、商業にかかわる人達で、浦河町のベットタウン的な面もあり、人間関係が希薄になることが心配され、自治会では、神社を中心にして部落の人々が集いふれ合う場所を秋祭りに求めています。
秋祭りには自治会が運営する模擬店が並び、舞台がつくられのど自慢、腕自慢はもとより、保育所、小中学校の先生も演芸に参加し、子供神輿も街をねりあるき、地域ぐるみの秋祭りです。
 
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by sinanoo | 2008-11-13 21:05 | 浦河の神社
浦河の神社 (10) 月寒神社 (つきさっぷじんじゃ) 

浦河の市街地をぬけ、国道に巨岩の迫る坂を越え月寒地区に入り、海岸線に沿ってつづく国道235号線の山側の中腹に鎮座しています。
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  創始 明治年代 
創始については明治2年(1869)明治12年(1879)明治末期と諸説がありますが特定はできませんでした。
  祭神  金毘羅大権現 (大物主命)
  所在地  浦河町月寒99番地
  例祭  9月9日


  由緒
明治年代現在江端長三郎の昆布小屋の横に住民数名で祠を建て金毘羅大権現を祀ったのがはじめとされています。
大正9年に讃岐の金刀比羅神社より海上安全、家内安全の守護神を勧請し、現在の場所に住民の集会所を兼ねた15坪の神殿と2基の鳥居を建立しました。
平成7年7月神殿老巧化のため13坪の神殿建立、鳥居2基も新たに建立しました。
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鳥居は一之鳥居二之鳥居とも鉄製で、塗られている色は、神社の鳥居ではあまりみられない青色です。
世話人のお話ですと、青は空と海の色、それに青色塗料は潮風による腐食に強い色、とのことです。神社の鳥居は形も色も祭神とは関係なく、寄進者のおもいで造られるものである、と云われています。
祭当日、ながくつづく参道にたてられるのぼりは、篤志家の寄進によるもので30尺を超える高さをほこり、風にためく様は月寒神社のシンボルとなっており、部落の人々の自慢ののぼりです。

 月寒のこと
月寒はアイヌ語で「チキシャブ」とよばれ、これが転じて「チキサブ」となり月寒の漢字が当てはめられたといわれています。
月寒は寛生3年(1791)に書かれた「東蝦夷地道中記」にはチキシャブは蝦夷家2軒乍り夏は猟場となり秋冬の間は空家なり。とあり、もの寂しい寂寞とした海辺にのぞむ雑木林の生い茂った荒野であったとおもわれます。

明治15年(1882)山陰から坂本利三郎(丹後)浜谷半右衛門(但馬)江端源右衛門(因幡)が新巻鮭買い付けのため船で来道したが、航海の途中暴風にあい漂流のすえ、月寒の浜に漂着し、やがて3名は家族を呼び寄せこの地を永住のちと定め、開拓の一歩をふみだしたと云われています。
他の文献ではこの地はすでに先住民アイヌによって開拓が進んでいたとも記されています。
以降この地への移住者はほとんどなく、現在は浜谷、坂本、江端3名つながりをもつ人達によって部落を構成しています。
そのため神社への信仰心が強く、神社を中心にした部落の団結力がつよく、40数戸の住民によって神社を守っています。

   秋祭り
9月10日の例祭には昭和28年(1953)に浄財で新たに造られた神輿が浜の若者達にかつがれて部落を賑々しく巡ります。しかし戸数が減り、若者の減少で21人でかつぐ神輿も現在では10数人でかつぐというのが現状のようです。
以前は子供神輿もねりあるきましたが、子供達の減少で神殿内にひっそり置かれています。

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    龍神さま
昭和のはじめ山の上に祀られたという龍神さまの祠が、神社の敷地内に建てられています。


                    参考文献
                        アイヌ語地名集成 浦河町史
                        アイヌ伝承の砦
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by sinanoo | 2008-10-29 17:56 | 浦河の神社
浦河の神社 (9) 東栄神社
国道235号線沿い 井寒台と荻伏に境を接した東栄の住宅地に鎮座しています。
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          所在地  浦河町東栄159
          創立    明治42年(1909)9月
          祭神    事代主神(ことしろぬしのかみ)
                 神話に登場する神
                 漁業、商業をはじめ広く生業の守り神
          例祭    春4月12~13日 秋9月12~13日
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    由緒
明治42年(1909)島根県八束郡美保町(現松江市)に所在する「美保神社」に島根県より移住した山口富蔵が詣で玉串を奉げ、分霊をうけ後辺戸(しりえど)神社を創立しました。
昭和13年(1938)字名改正により東栄神社と改称
昭和23年(1948)、同28年(1953)社殿の改修をおこないました。
昭和50年(1975)9月社殿老朽化のため氏子協議のうえ、現在地にあらたにに15坪の社殿を建立しました。
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                拝殿に掲げられている由来、祭神の額
  祭神 事代主神と国譲り神話のこと
天照大神の弟神須佐之男命(スサノウノミコト)の子孫で出雲大社に祀られている多く大国主神の第一子といわれています。

天孫降臨に先立ち天照大神の使い、建御雷之男神(タケミカズキノオ)が出雲(島根県)に降り立ち、大国主に対して葦原中国(日本国土)の国譲りをせまりました。大国主は息子事代主が答えると云い、建御雷之男神は美保関におもむき釣りをしていた事代主に国譲りをせまると「承知した」と答え、船を踏み傾け手を逆に打って青柴垣にかえてそのなかに隠れてしまいました。
大国主の二子建御名方神(タケミナカタ)も建御雷之男神に服従すると大国主は出雲の国に津神(クニツガミ)を祀る壮大な社を建てることを条件に国譲りを承諾し「事代主が先頭に立てば180人の私の子供達は天津神(アマツガミ)には背かないだろうと云いました。

国譲りの神話で事代主が釣りをしていたことから釣り好きとされ、海との関係は深く七福神の一人「ゑびすさま」と同一視されています。
事代主が祀られている美保神社は全国に3000社を超えるゑびす神社の総本宮になっています。

  東栄神社の秋祭り
秋の例祭が行われる9月13日早朝から部落の人々が神社に集まり、神輿に魂入れして、9時に船にのせて港内を渡御します。船上から神社に向かって礼拝し酒、米などをまき供えて戻り、部落内を神輿が渡御します。
かつぐのは部落の若者で部落の角々で神輿をまわし勇壮な渡御です。昼12時に神社入りをして、一同神殿に詣でて豊漁への感謝を奉げます。
神社を中心にした地域の人々の結びつきの強さを感じる祭りです。
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    神社の敷地内に祀られている稲荷神社
    由緒等については不詳です


                           参考文献
                   東栄神社由来書  新浦河町史 
                   美保神社HP Wikipedia
 
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by sinanoo | 2008-10-16 19:41 | 浦河の神社
浦河の神社 (8) 西幌別神社
 国道365号線牧場が広がる西幌別地区、天馬街道の左手、小高い丘の中腹に街を見下ろすように鎮座しています。
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         開基  明治年代 (詳細不明)
         祭神  稲荷大明神
         例祭日 9月22~23日

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   由緒
 明治年代 藤井某の個人神社として建立され藤井稲荷と呼ばれていました。
 大正4、5年頃(1915~16)部落に神社をとの住民の要望で、寄贈をうけ部落の守護神として奉斉しました
 昭和4、5年頃(1928~1930)祠が老朽化したため、駒沢利幸氏の祖父が神社の敷地として山林2町5反を 寄贈し10坪余の拝殿をそなえた神社を建立、部落の集会所としても利用されていました。
 昭和45年(1970)台風により社殿の屋根が飛ばされ、社殿も大破しました。
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そのため住民篤志家からの寄付により、住民の集会所を兼ねた神社会館を建立、鳥居も建立しました。
(写真は開村記念誌 拓土幌別 より転載)

 昭和56年3月(1981)会館の改築にあわせ会館の右隣りに1,5坪の神殿を建立あわせ2の鳥居を建 立しました。
 平成8年鳥居、参道の石段を補修しました。

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 祭神について
各開拓部落の神社の祭神は故郷の神社から分霊をうけていますが幌別は移住者多県にわたりまた移住した年も長e0104596_18233563.jpgい期間わたるため、個人の神社を奉斉したものとおもわれます。

稲荷神社の鳥居、社殿のほとんどは稲荷朱色とよばれる朱色に塗られていますが、西幌別神社は黄色に塗られています、なにか思い入れがあるのでは。と世話人の駒沢さんにお尋ねしたところ、色について、特別の意味はないとのことでした。

また眷属(けんぞく)として、稲荷神の使いとされる白狐ではなく狛犬(JRA 寄贈)が1対おかれています。

  幌別のこと
幌別は「ホルベツ」といい幌別川の源、カムイ岳の麓の岩窟より湧き出る故に名付けられたと言われています。
平成20年で開村137年を迎えた幌別は「肥沃なれど湿地所々あり」といわれ、開村当時湿原には丈余の葦が生い茂り、木を切り、土を耕し苦闘の開拓が続けられ、先人から今えと相継いで1世紀余にわたる苦闘の歳月が結実して酪農、優駿の生産地として進展をみせています。

幌別の歴史は文久年代(1861、1863)に神谷文茂が渡し守としてこの地に住み当時のコタンの先住民を支配して地歩を固めたと言われています。
明治4年(1871)福井県から高島弥平冶、石川県から金石佐兵衛が杣人(きこり)として移住しかたわら農業も営んでいた、この2人が最初の移住者と言われています。

移住は明治12年(1871)頃からその数をまし明治30年(1897)には76戸350人アイヌ15戸64人をかぞえ、入植者は福井県が最も多く、富山、石川、福井、徳島と各地にわたりました。

当時の原野は大半が浦河市街人の所有地で貸付地の小作人として鍬下年期3,4年、開拓料なし、という過酷な条件の下での開拓で生産物は生産が容易で運搬も貯蔵も比較的簡単だった大豆、小豆が主体で、明治34年(1901)に徳島からの鎌田九平の来住で藍作が始ったとされています。
                          参考文献
               幌別開村記念誌   拓土 幌別
               浦河町史   松浦武四郎 日誌
             
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by sinanoo | 2008-10-05 19:37 | 浦河の神社
浦河の神社 (7) 上杵臼神社
国道236号線通称天馬街道の中頃を右におれて300メートル、上杵臼生活館の敷地に鎮座しています。
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           開基  昭和27~28年(1952)頃
           祭神  天照大神
           例祭日  9月中旬の土曜~日曜日

     由緒
昭和25年(1950) 国策により食料危機、民生安定、引揚者対策の一環として、開拓計画をたて、上杵臼に開拓のための入植が行われました。
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昭和27年~28年ごろ入植していた谷 茂行の娘婿で指物師であった栗田某が、上杵臼に成育していた樹木をつかって、神殿を造り天照大神を祀り当時七区に分かれていた三区の部落神として奉斉しました。

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昭和30年ごろ上杵臼に神社との声が住民よりあがり、山の中腹に住民の寄付により神社を新築移転し「開拓神社」となずけ。苦闘のつづく住民の心のよりどころとなりました。
 (写真は上杵臼開拓20周年記念誌より転載)

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昭和56年入植者の老齢化で、山の神社への参拝が困難になり、拝殿の傷みもはげしくなり
住民の協議の上、現在地より山側500メートルの平坦地に拝殿を新築神殿を奉斉しました。

昭和20年9月14日 鳥居が長年の風雪により倒壊の危険があり、現在地生活館の敷地内に篤志家の寄付と住民の寄付により拝殿、神殿を移転し住民の労力で鳥居の基礎をつくり、鉄製の鳥居を建立しました。

 祭神について
天照大神を祭神として祀っていますが、分霊をうけた神社については入植者の高田治定氏によるとはっきりしないが、杵臼神社からではないか、とのことです。
神殿には天照大神の木札と浦河神社の神札が奉斉されています。

上杵臼を離れる人も多く、神社の由緒も伝わらなくなってきています。

上杵臼神社のは由緒は高田治定氏にお聞きしたお話をもとにまとめたものです。




 
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by sinanoo | 2008-09-17 22:14 | 浦河の神社
浦河の神社  秋の例祭日 (秋祭り)
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浦河の神社は部落ごとに23社あり、例祭は多くが9月にとりおこなわれます。
  例祭は春(神に収穫を祈る)
      秋(神に収穫を感謝する)
の2回行われていますが、通例では秋の例祭が盛大に行われます。

それぞれ神社の歴史は、開拓、移住した先人達の苦闘の歴史です。
秋祭りに神社を訪れて、部落の歴史をふりかえって、先人に感謝の祈りを奉げる気持ちを持ちたいものです。

  9月4~5日     白泉神社
  9月5~6日     荻伏神社

  9月9~10日    浜荻伏金毘羅神社
  9月10日      富里神社
              月寒神社

  9月11日      向別稲荷神社
  9月12日      野深神社
              上野深神社
              瑞穂稲荷神社
    
   9月12~13日  東栄神社

  9月13日      姉茶神社
  9月13~14日  井寒台神社
              乳呑神社

  9月13~15日  浦河神社

  9月14~15日  西幌別駅前神社
             上杵臼神社

  9月19~20日  絵笛神社

  9月21日     東幌別神社
  9月21~22日  西舎神社

  9月22~23日  杵臼神社
             西幌別神社 

  10月9~10日  鱗別稲荷神社

  4月10~11日  浦河金毘羅神社

   


       
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by sinanoo | 2008-09-07 21:21 | 浦河の神社