温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
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神社紀行 金刀比羅宮 (ことひらぐう)
                こんぴら 船々 追手に帆かけて
                    しゅら しゅ しゅ しゅ 
         まわれば四国は 讃州(さんしゅう) 那珂の郡(なかのごうり)
                 象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現
                      一度まわれば
と 唄われたる金刀比羅宮は香川県多度郡琴平町、象頭山の中腹に鎮座しています。
長くつづく参道の石段は有名で本宮まで785段、さらに奥社まで登ると1368段あり海の守り神として信仰されており、全国に1900社ある金毘羅神社(金刀比羅神社、琴平神社)の総本社でもあります。

金刀比羅宮は明治元年に発令された「神仏分離令」それによる「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の標的にされ、さらに金毘羅大権現が日本の神ではないとされ存続をはかるために、祭神を神話に登場する大物主に変えるという波乱の歴史をもった神社です。

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      金刀比羅宮(ことひらぐう)

  祭神  大物主命(オオモノヌシノミコト)
       (相殿) 崇徳天皇
  所在地 香川県多度郡琴平町892
  社格  旧国幣中社
       神社本庁包括 別表神社
 
  神仏分離令

神仏習合によって日本の神々の本来の姿は仏教の諸仏や諸菩薩であると考えられるようになりました。これを本地垂迹(ほんちすいじゃく)といい奈良時代にはじまったとされています。
そして神社の境内に神宮寺が建立され、また寺院にも土地の神を祭る鎮守社がおかれ寺社の施設も祭礼も一体化してゆきました。

ところが明治時代になると新政府は「神」と「仏」を分けることを命じる「神仏分離令」を公布しました。
それは明治政府が天皇の祖先神を神々の頂点においた「国家神道」という新しい宗教をつくり、国民に強制しようとしたからです。
そのため伝統的に一体であった「神仏」から「神」だけをとりだし、それらの神々を国家神道のストーリーに沿うように再編成しようとしたのです。

この国家神道というのは、江戸時代以前の日本の「信仰心」とは別物の、明治時代になってつくりだされた新宗教であると言ってもいいでしょう。

新しい国家神道を短期間に行きわたらせるため、政府は神仏分離の政策を強行に押し進めました。
その結果として各地で廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、多くの寺々が壊されて神社に模様がえさせられ、伝統行事が禁止させられたり、貴重な仏像や経典などの文化財が焼却にあいました。

 金毘羅大権現
金刀比羅宮は江戸末期まで松尾寺という真言宗の寺院でした。創建は不詳です。

金毘羅大権現の権現と云うのは仏や菩薩が日本の神の姿を借りて姿をあらわすことで、江戸時代までは各地の寺社に権現を祀り信仰していましたが、神仏分離令で「権現」の称号を使うことが禁止されました。

薬師如来を守護するために一諸に渡来した十二神将の中の一神が宮毘羅(くびら)大将でくびらがなまってコンピラになったとも考えられます。
この神はサンクリスト語でグランピーラといい、ガンジス川に住んでいたワニで仏教にとりいれられたと云われています。

松尾寺金光院の本尊も薬師瑠璃光如来ですからその本尊を守るために金毘羅大権現を祀ったものとおもわれます。

金毘羅大権現が祀られた時期は不明ですが近年元亀4年(1573)の年記を持つ棟札がみつかり、このころに金毘羅堂を建立し、本尊を守護させたものと推測されます。
金毘羅が祀られたのは近世初頭のころとなり、歴史としては比較的浅いようです。

戦国時代の末期までは参詣者も少なくさびれた寺院でしたが、当時の院主であり山伏でもあった金剛坊有盛と云う僧侶が寺を整備し金毘羅大権現の信仰をひろめました。
また秀吉の朝鮮出兵のころから海難よけの水神とされ、海上航海の安全を守る神、雨乞いの水神(農業かま)として農民の信仰を集めさらに象頭山の「お山信仰」とも結びつき、金毘羅大権現は本尊薬師如来をしのぐ流行神となりました。

江戸時代の中頃からは北前船の乗組員の間で信仰が広がり、そのため北前船航路の各地に信仰が広がりその信仰は瀬戸内海沿岸から日本海を経て蝦夷地にまで達しました。

           江戸時代に描かれた「象頭山」金毘羅全図」という絵図です。
  
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     絵図の右上に金毘羅大権現が祀られていた「本社」がみえます。
     中央左上にあろ大きな建物は「金堂」で松尾寺金光院の本尊薬師瑠璃光如来
        が祀られていました。

    亡命した仏さん
明治元年3月に発令された神仏分離令により4月に大権現は天笠より飛来、仏法を守護する神である。との上申書を提出したが日本古来の神ではないとされ、同年5月に大権現は大国主尊(大物主神)と同体であるとの嘆願書を提出し祭神の変更をしました。

同年6月松尾寺の堂宇を改廃し大権現の建物をすべて社殿に改めて琴平神社と改称しました。(同年7月金刀比羅宮と改称)

廃仏稀釈の広がりが松尾寺にもおよび金毘羅大権現の本地仏として祀られていた本尊十一面観音像は信仰の対象から外され、金毘羅大権現の神体である不動明王、毘沙門天の二像が打ち壊されそうになったとき、末寺の満福寺の住職宥明がこの像を隠し破壊から守りました。

さらに宥明は明治7年(1874)に暗夜に香川県から海を渡り岡山県の津田村に移し明治15年(1882)3月岡山藩主だった池田章正の助力で、はだか祭りで知られる西大寺住職永田光阿によって、牛玉所殿(ごうしょうでん)に守護神として迎えられました。

海を渡って亡命した仏さんです。

松尾寺金光院では多宝塔の廃止、鐘楼の取り壊し、一般の仏像、経典、仏具などは一部宝物として残したほかは、まとめて焼却しました。

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左右にお土産やが軒をつらねる参道の石段、年間300万人の参詣者がこの石段を登るといいます。
e0104596_202373.jpg大門
この門は大門と呼ばれ、左右に神像が置かれていますが、かっては、松尾寺金光院の仁王門でした。
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 大門を抜けると別世界です。
門をくぐると特別に境内での営業を許可されている、五人百姓が加美代飴を売っています。

  e0104596_20242768.jpg参道の境内社 祭神
 祓戸神社 セオリツヒメノミコト 外3神
 火雷社  ホノイカズチノカミ 外5神
 真須賀神社 タケハヤスサノウノミコト 外1神
 御年神社 オオトシカミ 外2神
 事知神社 ヤエコトシロヌシノカミ ほか2神
 厳島神社 イチキシマヒメノミコト
 大山衹神社 オオヤマツミノカミ

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旭 社
   祭神
       イザナギノカミ イザナミノカミ アマテラスオオカミなど記紀神話に登場する9神

見るからに「寺院風」の建物ですが現在では旭社とよばれています。
以前は松尾寺金光院の本尊、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)が祀られていた金堂です。

境内でもっとも大きく、荘厳な堂舎ですから、金毘羅まいりに訪れた森の石松が、この金堂が金毘羅大権現を祀る本社であると勘違いして、ここで参拝しただけで引き返してしまったという伝承があります。
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 三穂津姫神社
祭神  ミホツヒメカミ
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  睦魂神社
 本宮の横にある神社です
  祭神 オオクニヌシノカミ
      オオクニタマノカミ
      スクナヒコノカミ

    金刀比羅宮の本宮e0104596_21395243.jpg

        本宮拝殿                             神殿     
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松尾寺金光院の本社で金毘羅大権現を祀っていました。現在は金刀比羅宮の本宮です。
   祭神 オオモノヌシノミコト
       相殿 スウトクテンノウ
本宮の横からさらに583の石段を上ると奥社があります。
金刀比羅宮をおとづれる参詣者の多くは本宮までで、ことにツアー客はここまでは上ってこないようで、ここまで来る人は少なく、静かな場所です。
  参道にある境内社
         常盤神社                            菅原神社         
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          白峰神社         
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     奥社 厳魂神社(いずたまじんじゃ
e0104596_22202534.jpg祭神  厳魂彦命(イズタマヒコノミコト)
僧侶であった有盛(ゆぜい)が 厳魂彦命という神名で祀られています。原始林に囲まれた社殿は山伏でもあった有盛を祀るにふさわしい場所とおもわれます。

金毘羅大権現の信仰拡大に功績のあった有盛は没後神格化されて金剛坊尊師とあがめられるようになっていました。そして有盛の山伏姿の霊像が作られ参詣者でにぎわう本社や観音堂がならぶそばに建てられた後堂(うしろどう)におさめられて、松尾寺金光院の僧侶たちに拝まれてきました。

ところが明治になって松尾寺が神社に模様がえすると、僧侶であった有盛の霊は神名を与えられ、この山深い奥社に遠ざけられてしまったというわけです。

  いまに法灯をつたえる松尾寺

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いわゆる表参道の石段はじまる付近から南に300メートルぐらいはいったところに寺院存続を願った、有暁などが辛うじて松尾寺の法灯をいまにつたえています。
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by sinanoo | 2009-03-31 15:20 | 神社紀行
08毎日音楽コンクール受賞記念コンサート
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知人のお孫さんで浦河に在住していましたが、いまは札幌に移り住みヴァイオリンの演奏家をめざして研鑽中の新保るり子さんのコンサートをKitaraに聴きにいってきました。

04年から毎日学生音楽コンクールで入賞し、08年では全日本学生音楽コンクール課題曲コース中学校の部で1位に輝いた中学1年生です。

私も毎年このコンサートを楽しみにしています。今回は一番前列の右側にすわり、左手の指の動き、弓をはこぶ右手の動きを目のあたりにしました。

曲はサン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソでききなれた曲でした。
すばらしい演奏で、一音一音心を込めたていねいな演奏で、曲想にあわせて踊るような演奏、美しい音色に酔わされました。

来年のコンサートがいまから楽しみです。
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by sinanoo | 2009-03-24 20:22 | LIVE
浦河の神社 春の例祭
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浦河町の神社の春の例祭が下記の日程で行われます。
 23社の内例祭が行われる神社は7社です。

       東栄龍神社       3月31日~4月1日

       浜荻伏神社       4月9日~10日

       浦河金毘羅神社    4月10日

       荻伏神社         4月11日
       
       東栄神社         4月12日~4月13日

       西舎神社         5月11日~5月12日

       浦河神社         6月中旬 
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by sinanoo | 2009-03-18 15:29 | 浦河の神社
こころがなごむ斉藤洋子さんの水彩画展
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みているだけでこころがなごむ浦河野深在住の斉藤洋子さんの水彩画展が町立浦河図書館で開かれています。

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 斎藤洋子さんは道展の会員、日本水彩画会の会員で創作のかたわら浦河町の水彩画グループ「なずなの会」を主宰しています。

北海道新聞土曜日朝刊の童話欄の挿絵を担当しており、今回は浦河の風景、馬、山野草を描いた小品と色を重ね合わせて油絵かと見間違えた作風の絵も展示されています。

こんなに多くの斎藤洋子さんの作品が展示されたのは初めてでしょう。
     3月31日まで  町立浦河図書館 1F~BF 
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by sinanoo | 2009-03-15 00:59 | うらかわ いろいろ
神社紀行 伊曽乃神社 (イソノジンジャ)
愛媛県西条市伊予西条駅から南へ3キロほど、石鎚山系からの水を集めて流れる加茂川の辺にあり、一万六千五百坪の敷地に特異な植物群に覆われた境内に鎮座しています。
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 伊曽乃神社
  磯野宮とも書かれています
 
 祭神 伊曽乃神
     (天照大神)
     (武国疑別命)
 所在地 愛媛県西条市中野甲
 社格 旧国幣中社
     延喜式帳明神大社
     神社本庁包括別表神社
 鳥居の原型といわれる三の鳥居
  由緒
創建年代は不詳ですが、神社畧記によれば成務天皇7年(137)創祀とされています。

第12代景仁天皇の皇子武国疑別命(タケクニコリワケノミコト)が伊予の国土開発の任をおびてこの地に封ぜられたとき、伊勢神宮より天照大神を奉斎して祀り、後に命の子孫である伊予三村別(イヨミムラワケ)により天照大神と始祖武国疑別命をあわせ祀りこれが伊曽乃神社の創祀とされています。

称徳天皇天平神護元年(765)に神封10戸をあたえられ、同2年全国ではじめて神位(従4位下)を授けられ、以後神位が上がり永治元年(1141)極位である神位(正1位)を授けられました。
朝廷の信頼が厚く、新羅遠征や南海道の海賊平定など、国家的行事の奉幣祈願が数多く行われました。

近代社格制度の発足の際には、祭神不詳として官社の認可認可が得られず県社となりました。
昭和15年(1940)伊予乃神を祭神として国幣中社に昇格しました。
                                      「伊曽乃神社畧記」より抜粋
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    神門
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    拝殿
天正13年(1585)天正の戦乱で豊臣秀吉の四国征伐により社殿、社宝が兵火により焼失し、難をのがれて土佐国に遷座し慶長11年(1606)復座しました。
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    本殿
昭和15年(1940)国幣中社昇格の際に改築され従来の「入蜻蛉(トンボ)造り」を近代化した茅葺白桧木の神明造りとなり。昭和46年(1971)に銅板葺に葺替えました。

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  境内社
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    天満神社
 訪れた頃天満神社の周りには菅原道真、天神様の花、梅が咲きほこっていました。

 祭神 菅原道真公、大物主命、大山積神、       神田大明神、可々背男命

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    お先神社

 祭神 天孫降臨の際、天孫族の道案内をした     という 猿田彦命、

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 神門のまえに大きく枝をのばしたクスノキの古木があり、
 その横手に古茂理神社(木花之佐久夜毘賣)があります。


  伝承

地元の伝説によれば伊曽之の女神と石鎚山の男神が恋仲となり、男神は石鎚山で修行をしなければならないので結婚できないといい、「修行が終われば結婚するのでそれまで待ってほしいい、山頂から三っつの大石を投げるので真ん中の石が落ちたところに館を造って待つように」と言い残して山に登りました。

間もなく山から三っつの石が飛んできたて、真ん中の石が落ちたところに造られたのが伊曽乃神社だといいます。
伊曽乃神は女神だったのでしょう。

一の鳥居の横にその石が置かれているということでしたが、きがつきませんでした。

  例大祭 西条まつり
 伊曽乃神社の例大祭が行われる10月15日、16日の両日、江戸時代からつづく絢爛豪華な祭禮で知られるだんじりみこしの奉納がおこなわれます。
   
     
 
 
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by sinanoo | 2009-03-11 17:46 | 神社紀行
神社紀行 大山祇神社(オオヤマズミジンジャ)
瀬戸内海の中央に位置大小の島々に囲まれた愛媛県大三島にあり、西瀬戸内海自動車道通称しまなみ海道の大三島ICから西へ4キロほどゆくと、神体山鷲ヶ頭山の麓、天然記念物に指定されている日本最古の原始林社叢楠群におおわれた境内に鎮座しています。

e0104596_15415813.jpg 大山祇神社

所在地 愛媛県今治市宮浦
祭神 大山積神 (オオヤマツミノカミ)
社格 旧日本総鎮守、旧国幣大社
    旧伊予国一の宮
    延喜式明神大社
    神社本庁包括別表神社
 

              神門

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由緒
祭神大山積神は天照大神の兄神で山の神々の親神にあたり天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神に当たる、日本民族の祖神として和多志大神と申し上げる。
海上安全の守護神である

地神海神兼備の大霊神として日本国土全体を守護し給う神であることから、古代日本総鎮守と尊敬され朝廷国民の崇敬は各時代を通じて篤く中世には四社詣で、五社詣での中心となり平安時代すでに市が立ち現在に続いている。
総分社10000余社に祀られ延喜式明神大社に列せられ伊予国一の宮に定められた、明治以降は国幣大社に列せられ四国唯一の大社として尊崇されている。  「境内案内板より」

e0104596_1653661.jpg拝殿 

e0104596_1704057.jpg社殿

 e0104596_1725962.jpg本殿

本殿は宝殿ともいわれ三間社流造桧皮葺、
元亨2年(1322)兵火にかかり大授4年(1378)再建されました。

  

 由来 伝承
この地に鎮座した由来については大山積神の子孫小千命(オチノミコト)がこの地に祀ったという説、伊豆国の三嶋大社から分霊を受けたという説、百済から渡来した神であるという説もありますが、摂津国(大阪市高槻)からこの地に遷宮されたというのが主説のようです。

いずれにしろ古い時代から存在した神社です。

日本各地に10000余社ある山祇神社、三島神社の総本山とされていますが、なかには静岡県の三嶋大社の分社といわれ、三嶋大社自体がの分社とする説や、また大山祇神社が三嶋大社の分社だという説もあります
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 本殿の左右に並ぶ摂社 上津社(上津姫 雷神)下津社(下津姫 高籠神)

e0104596_184446.jpg末社 十七神社
室町時代の建造物で県の重要文化財、祭神 (諸山積、大気、千鳥、倉柱、轟、阿奈波、比目木邑、宇津、御前、小山、早瀬、速津佐、日知、御子宮、日維、若稚、宮市)

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     末社 姫子邑神社
 祭神 木花開耶姫命とその御子神
     子育て安産の神として祀られています。

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 境内社
荒神社、地神社、稲荷神社、石神社、八重垣神社、御鉾神社、宇迦神社、馬神社

相霊社(江戸末期まで神宮寺というお寺でした、神仏習合の時代です、明治の神仏分離令で神社になったものです)
この横に八坂神社、五穀神社があります

年表
  推古2年 (594) 摂津国三島江から大三島瀬戸に移る
  天宝元年 (701) 現在地大三島宮浦に移る
  養老3年 (719) 16年かけ社殿を造営、遷座式行われる
  元亨2年(1322) 戦火にあい本殿、拝殿とも焼失
  天授4年 (1378) 本殿、拝殿再建
  応永34年 (1427) 本殿再建
  慶長7年 (1602) 拝殿建築 

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オオヤマツミの神話での記述

神産においてイザナギとイザナミとの間に生まれた。その後、野の神鹿屋野比売神(カヤノヒメ)との間に四対八神を産んでいる。

ヤマタノオロチ退治においてスサノオの妻となるクシナダヒメの父母、アシナヅチ、テナヅチ(足名椎命、手名椎命)はオオヤマツミの子と名乗っている。その後スサノウの系譜において、ナオヤマツミ神の娘であるカムホイチヒメとの間に大年神とウカノミタマをもうけていると記している。
またクシナダヒメとの間の子、ヤシマジヌミは、オオヤマツミの娘コノハナチルヒメ(木花知流姫)と結婚し、フハノモジクヌスヌを産んでいる。
このフハノモジクヌスヌの子孫が大国主である。

天孫降臨の後ニニギはオオヤマツミの娘、コナハナサクヤヒメと出逢い、オオヤマツミはコノハナサクヤヒメとその姉のイワナガヒメを差し出したが、ニニギが容姿の醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。
wikipedia より


  

  

     
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by sinanoo | 2009-03-07 16:40 | 神社紀行