温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
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キッチンサイドファーム
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キッチンサイドファーム桜井さんのブログで全国紙デビューと知り、図書館で日本経済新聞19日付の夕刊をみてきました。

連載されている田舎暮らしを体験「北海道浦河に住んでみる」の7回目の連載記事です。

桜井さんの自然に身を任せて生きる姿には羨望さえ感じてきました。

わたしは浦河に移り住んで25年になります。当初文化の薫りさえしない町だとおもっていましたが、いまではそれに慣れてしまったのでしょうか、結構楽しくくらしています。

キッチンサイドファームの卵は飲食業をリタイアした2年ぐらいまえまで、店で使わせてもらっていました。
黄身がもりあがったおいしい卵でした。
このごろは食べていませんが、また食べたいですね。

ブログで「写真よりも断然男前ですから」といっていますが、新聞の写真もけっこうカッコいいですよ。

浦河では日経の夕刊は配達されていませんが、図書館で読むことができます。


http://s6624.blog7.fc2.com/
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by sinanoo | 2009-02-26 14:50 | うらかわ いろいろ
伊予 讃岐の旅日記 (3) 琴平町
朝食は個室の食事処、久しぶりにゆったりとした朝食に満足。
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朝風呂にはいり、売店でお土産えらび、やはり讃岐うどん、いろいろあるので迷ったすえに店員さんのすすめるままに決めて松山の銘菓タルトも買い、宅急便でおくりました。

金刀比羅宮めざして10時ホテル出発、参道の入口にはうどんやさんが軒をつらねていました、やはり讃岐名物なんでしょうね。

e0104596_1548974.jpg参道にあるお店から杖をかりて、奥宮までの1368段に挑戦です。
オフシーズンのせいか参拝客もまばらでした。

それにしても寒い、浦河と変わらないねといいながら、登り始めました。

e0104596_1643220.jpg名物の参拝者をのせて石段をかけあがるかごやさん、屈強なおじさんがたです。
 本宮まで785段
  上り 5300円 下り 3200円 往復 6800円
友人が「体重制限あるのかなー」 あるかもしれませんね、100以上は5割り増しとか。

e0104596_1616490.jpg参道の途中にある「こんぴら狗」の像
江戸時代に犬が首に初穂料と食事代をいれた袋をかけて、こんぴら講に同行してご主人の代参をしたという犬で忠義、人情の代名詞になっています。

この犬アニメっぽい、お賽銭箱もあり、「狗おみくじ」もありました。なんででしょうかね。

大門をくぐると左右に並んでいた店がなくなり、前が開けて本宮かとおもったのですが、まだまだで境内社がならんでいます。

e0104596_16343480.jpgやっと本宮。
主祭神は金毘羅大権現(大物主命)です。
明治以前は象頭山松尾寺という古くからの寺院でしたが、明治2年政府の神仏分離令で廃仏稀釈(ハイブツキシャク)がおこり、金毘羅大権現は日本の神ではないとされ、廃寺の岐路にたたされたため、金毘羅大権現は神話に登場する大物主命であるとして、寺院から神社にかえて存続をはかったという歴史があります。

e0104596_16484325.jpg本宮の広場から望む琴平の町、讃岐富士がみえ、左に丸亀城がかすんでみえます。

観光ツアーの参加者はほとんどがここで終わりだそうですが、せっかくきたのだから奥宮まで上がることにし、あと583段、本宮までの直線で上がる石段ではなくゆらゆら勾配のついた石段です。

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 金色にかがやく「黄色い」お守り
なんだかイメージキャラクターのようです。
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     今治造船所から奉納された船舶の巨大な真鍮製のスクリュー

ひと息いれて奥宮まで、さすがに奥宮までの参拝者はまばらで途中でたびたび息切れ、友人に気合を入れられながらやっとたどりつきました。

e0104596_1733122.jpge0104596_17341614.jpg 奥宮までつずく参道に菅原道真神社が満開の梅ノ木にかこまれて鎮座していました。

本宮で知人のお孫さんがH大を受験するというので合格祈願を願って授けていただいた「学業成就」のお守りを菅原神社の神前に供え、お賽銭をながいれて祈願してきました。
 そういえば今日が受験の日でした。

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 奥宮
厳魂神社  祭神は松尾寺の別当職だった金剛坊宥盛で明治38年に神として祀られたもので、金刀比羅宮のなかであたらしい神社です。


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金丸座
参道をすこしあがった左の小高い丘のうえににあります。
天保6年(1835)芝居小屋とし設立され、映画館などに転用されその後荒れるにまかせていましたが、昭和30年ごろから復元運動がはじまり、同46年重文指定を受けて同51年天保の姿で、現在地に移築しました。

毎年4月に金毘羅歌舞伎がおこなわれており、今年は4月5日から25日まで中村勘三郎、中村扇雀などにより、「俊寛」「西口村」など4つの演題が演じられます。
奥宮の参拝をおえて下山、帰りはやはり楽でしたね。
 往復 2時間半  万歩計によると15400歩やはりしんどかったですね。

参道の入口の中村うどん学校で昼食、トッピング方式のうどんでした、
四国に来てうどん4食目、そろそろそばが恋しくなりました。

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 なんだか分かりますか
キテーちゃんのご当地限定ストラップだそうです。

友人が空港、スーパー,お土産や、ホテルの売店あげくは金毘羅宮の参道の売店で買い集めていました。
親しい知人とそのお母さんから頼まれたとかで、そのところにしか置いてないご当地限定品だそうです。

金丸座で演じられた演題の助六、鷺娘のストラップもあり、いま収集が流行っているようです。
しかられそうですが、なんだかかわいいですね。

琴平から高松市をかすめて高松空港へ、ここでまたうどん、今度の旅はうどんを食う旅でもありました。

羽田経由で午後9時半千歳着。寒い 四国なんてもんじゃない  あらためて北海道の寒さを痛感しました。

高松ー羽田ー千歳と機材もクルーも一緒でめずらしいことです。
クルーから「千歳までごいしょさせてもらいます」と挨拶されて心がなごみました。
ちよっとした心ずかいが、旅ではうれしいですね。

昨日降ったという雪におどろきながら、11時半に無事帰着。
車の運転に終始した友人に感謝です。
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by sinanoo | 2009-02-25 20:34 |
雪山
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道路ぶちの雪山が小さくなりませんね。
歩道の除雪した雪と除雪車がはねあげた車道の雪山です。

しんしんと降るなんていうポゥエステックなものではなく、どたどたと降りました。

暖冬のせいか今年は雪が積ったあと、気温があがったり、雨が降ったりですぐに溶けてしまいましたが、この雪は気温が低いせいもあって雪山は小さくなりません。
こんなに雪山をみるのは10年来ですね。

日陰の道路はツルツル気をつけないと。
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久しぶりに‘つらら‘をみつけました。
小さい頃軒下のつららを欠いてチャンバラをしたり、口に含んだものですが、いまでは懐かしい思い出でしょうか、

24節気の雨水もすぎもうすぐ3月。暦のうえでは春なんですが。
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by sinanoo | 2009-02-24 16:32 | うらかわ いろいろ
伊予 讃岐の旅日記 (2) 伊予西条
はやめに朝食をすませて、ふたたび しまなみ海道 をはしり40分かけて大山祇神社へ、昨日は気がつかなかったのですが、道の駅やお土産やさんが並んでいます、メインはやはりミカン、いろんな種類があるんですね。
四国は暖かいとおもっていたのですが、寒い、素手でいるとしびれるぐらいです、鼻水はでるわで風邪薬を飲みながらの旅になりました。

営業時間は大山祇神社の神門がしまる、午後5時まででしたでした、納得。

オフシーズンのせいか、参拝者もまばらでしたが、豊作、豊穣をいのる祈年祭がとりおこなわれていました。

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神門 今日は開いていました。

e0104596_19131865.jpg拝殿
山の神、海の神、戦いの神として朝廷や武家から崇められてきました。

賽銭箱には硬貨を投げ入れるのが作法だといいます、その音で神様に参拝にきたことを告げるのだそうですが神社としては、軽いお札のほうを歓迎しているとか。

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宝物館
源氏、平家をはじめおおくの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため国宝や重要文化財の指定をうけた、甲冑の4割がこの神社におさめられており、国宝、重要文化財の宝庫です。


 1人角力(1人ずもう)
春と秋の2回豊作祈願、収穫に感謝する祭りに奉納角力がおこなはれています。
目にはみえない神様をあいてに土俵の上で力士が1人三番勝負、1勝1敗でむかえた3番目は熱の入った大一番、神様が力士を豪快に投げ飛ばして神様の勝ち。

昭和59年(1984)以来とぎれていた神事でしたが、平成6年大三島中学校の生徒により伝承文化として受け継がれています。

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友人のお子さんにお守りを授けていただきましたが、大山祇神社は海、山、戦いの神です。
学業成就の願いがかないますかどうか。

でもご利益ありますように。


念願だった大山祇神社の参拝をおえて、しまなみ海道にのり今日の宿泊地琴平温泉へ、途中伊予西条市にある伊曾乃神社をおとずれました。

西条市のみなみ石鎚山系から流れる加茂川の湾曲している場所に鎮座しています。

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神門
創祀は社伝によると成務天皇28年(158)、祭神は伊曾乃神(天照大神、武国凝別命タケクニコリワケノミコト)で旧国幣中社で、別表神社です。
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐により社殿、社宝が兵火により焼失し難をさけるために土佐国に遷座し慶長15年(1940)復座しました。
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拝殿
拝殿の後方に神明造りの神殿があります。

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境内社のひとつ天満神社
菅原道真を祀った神社です。
(こちふかば においおこせよ うめのはな・・・・) に詠まれた梅の樹にかこまれています。
梅は満開でした。

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 参拝をすませて琴平へ、今回の旅は高速道路をつかわず、街並をみながら走ることにしていましたが、国道の道幅が狭いのにはびっくりしました。大型車とすれちがうときは、ひやひやものでした。

讃岐にはいったところで遅い昼飯、もちろんうどんやさんです。
e0104596_22161745.jpgわたしはぶっかけうどん、友人は2玉はいったてんぷらうどんと親子丼のセット、こしがあってうまかったですね。
食べるのが趣味の友人も満足そうでした。

4時琴平温泉到着、温泉が目的のの友人の希望で金毘羅宮参りは明日にして、風呂がいいという琴参閣ホテルにはいり、風呂ざんまいの一夜でした。
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by sinanoo | 2009-02-23 22:04 |
太平山 圓久寺 古田智康僧正 五百日成満帰山式
浦河町旭町にある日蓮宗太平山 圓久寺 古田智康僧正の大荒行五百日成満帰山式が22日とり行はれました。

10時大通4丁目から圓久寺まで、信者80人の団扇太鼓の音にあわせ、おねり が行われ、帰山法要の前に水行が気温-7℃、小雪の舞う本堂前で行われました。
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日蓮宗大荒行堂での荒行は全国的に有名な荒行で11/1~2/10まで100日間におよびます。

早朝2時起床、朝3時から水行がはじまり夜11時までに1日7回寒水で身を清め「水行」をはじめ「万巻の読経」「木釼相承」相伝書の「写行」があり、朝夕2回梅干1個と白粥の食事生活がつずきます。

古田智康僧正はこの荒行を5行(5回)おこない、五百日成満帰山式がおこなわれました。
僧正の位は大僧正、権大僧正につぐものです。  写真提供 T.M さん


 
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by sinanoo | 2009-02-22 18:43 | うらかわ いろいろ
伊予 讃岐の旅日記 (1) 今治
 2/16~18 はじめての四国への旅にでかけてきました。
若い友人との2人旅、私は念願の神社めぐり、友人は温泉とうまいものの食べ歩き、目的がちがう2人の珍道中でした。
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日程がきついので千歳空港のホテルに前泊して羽田空港経由で松山空港に13時15分着、レンタカーで瀬戸内海にうかぶ大三島、大山衹神社(オオヤマツミジンジャ)へ

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やはり四国八十八ケ所霊場めぐりの入り口、空港内にご遍路さんおもてなしコーナーがありお題目がながれていました。

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しまなみ街道をはしって展望台からみる瀬戸内海の島並と潮流は、自然がおりなす美の最高峰はひとの手ではとどかない領域です。
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瀬戸内海に点在する島々をつなぐ本四架橋はその造形美にみとれました。

あまりの美しい風景にみとれていたために、目的の大山衹神社についたのが5時、大鳥居をくぐって社殿にゆくと、神門が閉まっていました。

参拝は5時までだったのです、
神社に閉社?時間があるとはおもいもよらなかったので、愕然としました。

かんがえてみれば神職さんがただって、勤務時間があるわけで、それに神社えの参拝は昼ですね。
夕方から夜に参拝する人は、人に見られたら願いがかなわないという、お百度参りか、呪いをかける丑の刻参りぐらいのものですからね。

意気消沈してせめてもと境内社をまわってきました。

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閉まっていた社殿に通じる神門

大山衹神社は神話に登場する大山積神(オオヤマツミノカミ)を祭神としています。くに産(うみ)をしたイザナギ、イザナミ子神で、天孫降臨のときアマテラスオオカミの孫のニニギノミコトの妻となったコノハサクヤヒメの父としてしられています。


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境内にある樹齢2600年といわれるクスノキ、根まわり20㍍ 高さ16㍍ オオヤマツミノカミの子オチノカミが植えたといわれ、国の天然記念物に指定されています。


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未練をのこして宿泊地今治へ、今治を支える今治造船の会長がオーナーの今治国際ホテル、大浴場が温泉ということで温泉好きの友人が選んだシティーホテルで吹き抜けをもつ広いロビーとゆったりとした空間を持つ部屋に満足しました。

ホテルから渡されたマップを片手に、町中に食事にでかけました。焼き鳥やの多い町でしたね、和風居酒屋にも入ったのですが、はずれ はじめての町での飲食店さがしは難しいですね。
友人は、コンビニでおにぎりを買う始末でした。

時間に遅れた大山衹神社、落胆しているわたしをみて同情したのか、明日行ってくれることになりました。
感謝 感謝です。

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                 しまなみ街道でみつけた花々
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by sinanoo | 2009-02-21 16:56 |
春のいぶき 福寿草が咲いた
浦河の大通2丁目の山側、日高線の線路の土手に福寿草が咲いていました。

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暖かい日が続いたあと、先日の大雪、雪をそっと掘ってみるとつぼみがふくらんでいました、翌日は雨、暖かさもあってつぼみがいっせいにふくらんだのでしょう。

今日は-7度とこの冬一番のひえこみで冷たい風にさらされながら、可憐な花をいっぱいにつけていました。
 もうすぐまちにまった春です。

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春一番の味覚ふきのとうもでています、冬眠からめをさました熊が最初に食べるといわれるふきのとう、こまかくきざんで、味噌に砂糖をくわえて油で炒めると、口いっぱいにほろ苦い春の香りがひろがります。

もうちょっと風がおさまったら、ふきのとうをとりにいって、ふきみそを保存食としてつくります。
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by sinanoo | 2009-02-19 19:06 | つれづれ
浦河の神社(14) 西舎神社(にしちゃじんじゃ)
 国道235号線 通称天馬街道を進み、左右に広がる牧場をすぎ、JRA日高育成センターにぬける桜並木の手前左側の森の中に鎮座しています。
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       祭神  妙見神 天御中主神 (あまのみなかぬしのかみ)
        相殿  藤波言忠大人命 (ふじなみことただうしのみこと)
             西 忠義大人命 (にしただよしうしのみこと)
       所在地 浦河町字西舎120番地
             社殿 17坪 敷地3反歩 2600本の落葉樹、蝦夷松、20本の桜
       例祭  春5月11~12日  秋9月21~22日

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     明治43年(1910)     西舎妙見神社建立
     大正15年5月(1926)   藤波言忠大人命合祀 藤波神社と改称
     昭和28年8月29日(1953) 西 忠義大人命 を祀る西神社遷座祭
         〃              藤波神社にご神体を遷す 
         〃              神社解体に着手
     昭和28年10月25日 妙見、藤波、西の3体を祀る西舎神社建立
     平成11年(1999)  社殿の屋根の1部補修


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   由緒
 明治40年(1910)国営の日高種馬牧場が開設され守護神として牛馬の守護神として功徳があるとして崇敬されていた、野馬追い祭りの祭事で知られている福島県相馬郡中村の相馬中村神社の祭神妙見神 天御中主神 (あまのみなかぬしのかみ)を勧請し、同43年先住民の遺跡がのこる当時の西舎小学校の南稜、現在の「わらしべ乗馬療育センター」のある場所に西舎妙見神社として奉斎しました。e0104596_2094811.jpg


大正15年(1926)宮内庁御用掛として全牧場の産馬改良、経営に尽力し日高種馬牧場の開設尽力した貴族院議員藤波言忠の霊を西舎の住民をはじめ日高種馬牧場、馬産関係者が協議し、産馬功労の神として西舎妙見神社に合祀し藤波神社と改称しました。

         藤波神社 西舎開村記念誌「拓地百年」より転載


昭和27年春藤波神社が老朽化し改築の要にせまられ浦河町より神社建築材の払い下げの手続きをすすめていましたが、浦河支庁長を9年つとめ日高の開発に貢献した西忠義の徳をしのび日高町村会と日高実業協会が、浦河神社境内に建立した西神社が十勝沖地震で大破し再建に苦慮しており、西忠義と藤波言忠義が日高種馬牧場設置請願いらい親しい仲にあったこともあり、西神社の社殿を西舎に移し藤波神社を撤去し、あらたに妙見、藤波、西の三体を合祀する案があがりました。

日高実業協会、日高町村会との協議がまとまり昭和28年8月29日遷座祭をおこない、ご神体を遷し西神社を解体しました。

昭和28年(1953)10月28日妙見、藤波、西の三体を合祀する西舎神社が建立されました、

e0104596_21371712.jpge0104596_21365512.jpg中央競馬会より寄進された狛犬

  祭神  妙見神 天御中主神 (あまのみなかぬしのかみ)
妙見神は680年中国明州から亀蛇(きだ)にまたがって海を渡り、九州八代郡竹津原に上陸し遷座したのが始まりとされています。
また百済からの渡来説もあります。

妙見宮は北極星と北斗七星からなる北辰信仰がもとで、妙見大菩薩を本尊として密教の真言、天台宗と結びつき信仰をあつめてきました。

明治の神仏分離令、廃仏毀釈にあい、高天原に最初に出現した神で造化三神の一人で、天の中央に座する主宰神で宇宙最高の神である天御中主神と習合して、祭神としました。

 西神社と西 忠義のこと
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明治34年(1901)浦河支庁長として赴任し日高の発展のためになみなみならぬ貢献をしました。
その徳を永久にたたえるため日高実業協会、日高町村会が主体となり日高各町村によびかけ基金をあつめ、昭和7年(1932)浦河神社境内に生存中の西 忠義を西霊社として奉斎、没後
西神社と改称しました。
支庁長に就任した6月21日に例祭をおこなってきました。

昭和27年(1952)3月の十勝沖地震で浦河神社とともに西神社も大破し、以前から神社維持が苦しかったこともあり、年1回の例祭も行わず、くちはてるままになっていました。
このため西 忠義翁の頒徳碑をたてることが提案され、潮見台グランド下の浦河港がみおろせる台地に建立されました。

西神社の遷宮については、前述のとうりです。

 西舎の歴史

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西舎の歴史は明治4年(1871)肥前国彼杵郡からの24戸70人余の開拓のクワ入れからはじまったといえるでしょう。
うっそうとした原始の森、丈余の葦原に囲まれたこの地の開拓は遅々としてすすまず、官からの扶助にもかかわらず幌別川のたびかさなる氾濫、十勝地方からの飛蝗(ばった)の飛来による農作物の被害などで、農耕をはなれ出稼ぎにゆくものや、アイヌとともに鹿猟をするものもがおおくいました。

そのなかで尾田忠平はけんめいに農耕に従事し成果をあげ、札幌本庁より賞与をうけたことで、住民もようやく開拓に専念し。また明治14年(1881)赤心社が開拓にはいったことに刺激をうけ、開拓がすすみ、明治20年以降人口が増加してゆきました。

明治14年(1881)キリスト教集団赤心社が広島、兵庫からの移民50余名が5月19日浦河港に着き、西舎にはいり開拓に着手しましたが赤心社鈴木社長が視察に訪れた8月、造成が進まずわずか数千坪にすぎず、しかも出稼ぎにでており、この地に残るものは2名だったといいます。

開拓についての経験の乏しさ、正確な現地の条件の把握ができず、計画性がかけていたためで、鈴木社長は現地幹部の要望をきき、札幌におもむき耕牛、農耕機械等を購入、新冠牧場で馬を買い入れました
また出稼ぎに出ていた住民の引き戻しに奔走して9月1日には全員がもどりました。

「開拓の業も人を得なければ成果をあげることはできない」という信念でしたが、容易に労働力が高まることにはなりませんでしたが、鈴木社長の宗教的信念はかたく「信仰生活こそがあらゆる障害を克服して前進の指標をあたえてくれる炉火である」ととき、集会をかさね胸襟をひらいて話し合い、新天地で開拓するものの安住性を考え、将来への安定した生活へのそなえをしめしました。

昭和20年(1945)赤心社農場が創立され、開拓の業が軌道にのったことを示すものです。

昭和4年の入植はじまる開拓の苦難」の歴史のなかに今日の西舎の礎がきずかれていったのでしょう。

 西舎神社のなりたちについて

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開拓のため移住した人々がふるさとの神社から分霊をうけて奉斎した神社は数多くあります。

西舎に移住した肥前国彼杵郡の人々と同じ船で杵臼に移住した天草の人々は、開拓に着手したのち住民の心のよりどころ、語り合う場、心をひとつにするために神社を建立し、いまでも神社の例祭などをつうじて住民の連帯感をつよめています。

西舎の神社は明治40年(1910)国営の日高種馬牧場が開設されたのち、種馬牧場の用地内に守護神として福島県相馬郡中村の相馬中村神社の祭神妙見神 天御中主神を勧請し、西舎妙見神社として建立されました。

神社建立には住民も参加したといわれていますが、官主導による神社建立ではないかともいわれています。
日高種馬牧場開設にあたり用地取得のさい長年苦労して開拓した土地への愛着が強く、応じない住民もおり強制買い上げをおこなったといわれ、日高種馬牧場の守護神である西舎妙見神社への信仰の意識がととのっていたとは考えにくいとおもはれます。

その後相殿として宮内庁御用掛として産馬改良につくし、種馬牧場の開設に尽力し、貴族院議員にまで列した藤波言忠を合祀し藤波神社と改称。これには官のちからがあったのかともうけとれます。

また浦河支庁長として、日高の経済産業にちからをつくした西忠義を日高町村会と日高実業協会が祀った西神社を、合祀のかたちではなく西神社を藤波神社に遷宮し西神社として取り壊し、妙見、藤波、西の三体を合わせ祀る神社を建立したもので、西舎神社として奉斎しました。

このなりたちをみると、神社の建立にあたっての官と財のおもわくがみえかくれし、強力なあとおしが感じられます。

西舎神社は浦河の神社のなかで景観といい、社殿のつくりといい、上位に位置する神社です。
このじせつがら神社の維持管理に、ご苦労があるとはおもいますが、町の歴史のなかに組み込まれている神社ですので、ぜひこのかたちをのこして守っていただきたいと、願っています。

わたしを含め神社に関心をもっている人達も多数います。応援しています。

        引用文献    拓地百年

  浦河の神社シリーズはここで一時掲載を中断し春の例祭が始まる5月ごろから取材をはじめ、掲載します。
  すでに掲載した鱗別稲荷神社、杵臼神社、ちのみ稲荷神社については訂正加筆のうえ
あらためて掲載します。






  




 


                    
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by sinanoo | 2009-02-15 02:12 | 浦河の神社
節分 豆撒き
今年の節分は2月3日でした。
節分とは季節を分けるという意味で、各季節の始まりの日(立春、立夏、立秋、立冬)の前日のことで、江戸時代頃から立春の前日を節分というようになったといわれています。

節分の行事鬼を払う悪霊払いは、天武天皇の時代に中国から伝えられもので「追儺(ついな)」の儀式からきたもので宮中での年中行事として行われてきました。

豆撒きは季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、豆を撒くことは鬼に豆をぶつけることで、邪気を追い払い一年の無病息災を願う、という意味合いがあるとされています。
撒かれた豆を歳の数より1つおおく食べると風邪をひかないともいわれています。

撒かれ豆は炒った大豆(昨年の邪気をはらうために撒くのですから芽が出たら困るので炒った大豆を使います)ですが、北海道や東北では落花生でこれは地面におちても殻を割って食べられるという利点があるからでしょう。
多くの寺社では小袋にいれて撒いているようです。

テレビニュースなどで紹介されている大きな寺社では、芸能人やスポーツ選手などが豆を撒きすっかりイベント化しています。
豆を入れた袋のなかに、景品としてデジカメ、ビテオカメラの引換券や地元商店の商品券をいれたり、はては5万円の現金をいれた寺社もあり、深川の富岡八幡宮は豆撒きのあと抽選会で1等ハワイ旅行という豪華な景品をだしています。
これを目当てに多くのの参詣者が集まり一大イベントになるわけです。

 浦河の寺社の節分祭(会)の豆撒き
浦河の寺社で一般の参詣者を招いた豆撒きは、神社では浦河神社、鱗別稲荷神社、寺院では日蓮宗 円久寺、真言宗 妙龍寺の4寺社でした。

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浦河神社
 午後4時から拝殿に50人の参詣者があつまり豆撒きがとりおこなわれ、豆のほか神前に供えられていた菓子やミカンなどが撒かれ、参詣者は嬉々として拾い集めていました。
 福がきますように
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 妙龍寺 午前11時と午後5時の2回節分会法要ご本堂で豆撒きがおこなはれました。
  「写真提供 おはなし家」

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鱗別稲荷神社 常盤町の奥にある神社で節分祭式典後11時から小雪の舞う中参詣者40人があつまり落花生、菓子、餅。ミカンなどが撒かれました。

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  恵方巻(えほうまき)

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節分の日にある方向をむいてまるかじりすると福が来るという、恵方巻が北海道で知られるようになったのは、10年ぐらい前のことです。
聴きなれない食文化なので、文献などでそのルーツを調べてみました。

江戸時代の末期から明治時代の初めにかけて、大阪船場の商人による商売繁盛の祈願事として始まったという説があります。

以後昭和の初期大阪の商人あいだで節分の「丸かぶりずし」として食されていたようで、「一気に丸かぶりしなければいけない」ということは海苔の販売拡大のために恵方巻をつくった海苔問屋「たこ昌」の山路昌彦の作り話ともいわれています。

戦後は一時さびれましたが、1973年大阪の海苔問屋がすし屋とタイアップし節分のイベントとして海苔巻きの早食い競争を企画これがマスコミに大きくとりあげられたことで、関西にひろがりました。

売り上げの落ちる1月後半から2月のはじめまでの販売イベントとして、主にコンビニエンスストアを中心にして各地に展開し1983年ファミリーマート、1989年にセブンイレブンも販売を開始し販売エリアを拡大し1998年に全国展開をしたことで急速に普及しました。

このイベントの広がりはバレンタインデー、ホワイトデーと同じく業界とコンビニなど流通業界主導のもとでの販促を目的にしたもので、恵方巻自体大阪を中心とした関西地方の節分の伝統食文化であり、各地にはそれぞれ節分の伝統的な食文化があるわけで、商業利益のためにだけに、恵方巻を押し付けるような商業戦略には納得しないものがあります。



 
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by sinanoo | 2009-02-05 12:05 | うらかわ いろいろ