温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
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浦河の神社 (10) 月寒神社 (つきさっぷじんじゃ) 

浦河の市街地をぬけ、国道に巨岩の迫る坂を越え月寒地区に入り、海岸線に沿ってつづく国道235号線の山側の中腹に鎮座しています。
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  創始 明治年代 
創始については明治2年(1869)明治12年(1879)明治末期と諸説がありますが特定はできませんでした。
  祭神  金毘羅大権現 (大物主命)
  所在地  浦河町月寒99番地
  例祭  9月9日


  由緒
明治年代現在江端長三郎の昆布小屋の横に住民数名で祠を建て金毘羅大権現を祀ったのがはじめとされています。
大正9年に讃岐の金刀比羅神社より海上安全、家内安全の守護神を勧請し、現在の場所に住民の集会所を兼ねた15坪の神殿と2基の鳥居を建立しました。
平成7年7月神殿老巧化のため13坪の神殿建立、鳥居2基も新たに建立しました。
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鳥居は一之鳥居二之鳥居とも鉄製で、塗られている色は、神社の鳥居ではあまりみられない青色です。
世話人のお話ですと、青は空と海の色、それに青色塗料は潮風による腐食に強い色、とのことです。神社の鳥居は形も色も祭神とは関係なく、寄進者のおもいで造られるものである、と云われています。
祭当日、ながくつづく参道にたてられるのぼりは、篤志家の寄進によるもので30尺を超える高さをほこり、風にためく様は月寒神社のシンボルとなっており、部落の人々の自慢ののぼりです。

 月寒のこと
月寒はアイヌ語で「チキシャブ」とよばれ、これが転じて「チキサブ」となり月寒の漢字が当てはめられたといわれています。
月寒は寛生3年(1791)に書かれた「東蝦夷地道中記」にはチキシャブは蝦夷家2軒乍り夏は猟場となり秋冬の間は空家なり。とあり、もの寂しい寂寞とした海辺にのぞむ雑木林の生い茂った荒野であったとおもわれます。

明治15年(1882)山陰から坂本利三郎(丹後)浜谷半右衛門(但馬)江端源右衛門(因幡)が新巻鮭買い付けのため船で来道したが、航海の途中暴風にあい漂流のすえ、月寒の浜に漂着し、やがて3名は家族を呼び寄せこの地を永住のちと定め、開拓の一歩をふみだしたと云われています。
他の文献ではこの地はすでに先住民アイヌによって開拓が進んでいたとも記されています。
以降この地への移住者はほとんどなく、現在は浜谷、坂本、江端3名つながりをもつ人達によって部落を構成しています。
そのため神社への信仰心が強く、神社を中心にした部落の団結力がつよく、40数戸の住民によって神社を守っています。

   秋祭り
9月10日の例祭には昭和28年(1953)に浄財で新たに造られた神輿が浜の若者達にかつがれて部落を賑々しく巡ります。しかし戸数が減り、若者の減少で21人でかつぐ神輿も現在では10数人でかつぐというのが現状のようです。
以前は子供神輿もねりあるきましたが、子供達の減少で神殿内にひっそり置かれています。

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    龍神さま
昭和のはじめ山の上に祀られたという龍神さまの祠が、神社の敷地内に建てられています。


                    参考文献
                        アイヌ語地名集成 浦河町史
                        アイヌ伝承の砦
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by sinanoo | 2008-10-29 17:56 | 浦河の神社
日高山脈菜園 作男日誌(9)信州漬物の定番野沢菜漬 
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4月にはじまった菜園の野良仕事も、晩秋の気配とともに終わりに近づき、大根と野沢菜の収穫を残すのみになりました。

今年の菜園は作付け時期の遅れ、それに長く続いた8月の低温も影響しさんざんな結果、「作男」失格の声も聞こえ、すべの収穫後に総括をせまられそうで、いいのがれを考えているこの頃です。
例年なら収穫が9月で終了しているはずのピーマン、ししとが9月中旬~10月上旬にかけての暖かさもあって、まだ収穫があります。
秋大根は順調な成育で主力の辛味大根はいじめて育てたおかげで、辛い、最後になってホットしています。

野沢菜は信州固有の漬物用の野菜です。北海道ことに浦河では栽培されていません。スーパーでは一年を通して東京産の野沢菜漬を売っていますが、なんで、とおもうほど高く手が出ませんね、
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ふるさと信州では8月のお盆すぎに種をまき、成育させ霜にあて、雪にもあてて甘味とシャキシャキ感をだし11月末から12月にかけて採りいれ、柿の葉やなんばんの葉などをいれ塩で桶に漬け込み、重しをし1ヶ月ぐらいしてから食べ始め春先まで食卓にあがります。
信州で云う「お茶うけ」の定番です。
各家庭では昔から伝わる漬け方をするので、北海道の「いずし」とおなじで家ごとに味がちがいます。

ふるさとの味をおもいきり堪能したいとおもい、菜園で野沢菜を栽培しています。寒さに強い野菜なので順調な成育です、友人に漬け方を伝授し(田舎の弟から取り寄せますが)信州の味を楽しんでもらおうと思っています。
「霜にあたって、雪をかぶったら甘くなる」待ってます。
ユキムシが飛んで、もうすぐ初雪でしょうか。

信州の名物「おやき」の代表的な中身は砂糖をちょっぴり加え油でいためた、野沢菜の古漬けです。
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by sinanoo | 2008-10-28 20:05 | 菜園日誌
ユキムシ「雪虫」が飛んだ
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上杵臼の山の菜園に雪虫の大群が飛んでいました。
まるで粉雪が舞っているようです。そっと手になかにいれてみると、お腹に白い綿(蝋物質と言うそうです)のようなふわふわしたものを付けています、これが飛ぶ時に空中で静止したり、羽をはやくうごかしたり、又飛ぶちからが弱く風になびいて流されるので、雪をおもわせるのでしょう。

ユキムシ(雪虫)は北海道の呼び名のようで、他地域では(ワタムシ)よばれています。ユキムシの飛来は雪の季節と関係が深く、冬の風物詩となっており、ユキムシが飛ぶと一週間後に初雪が降ると云われています。

昨年(07)ウエザーニュースが「雪虫」が飛来すると初雪、本当?」を企画し、北海道の人々に呼びかけて雪虫をみつけたら携帯のカメラで撮影し、みつけた場所、日、数、大きさをサイドに送り、初雪を観測した際も同様のリポートをサイドに送ってもらうことで、雪虫をみつけた日からどのくらいで初雪が降ったか検証するサイドをはじめました。
結果はどうなったか、サイドを調べたのですがみつかりませんでした。

でも北海道ではユキムシの飛来で雪の降る季節を知り、冬の到来をあらためて実感するのです。

ユキムシはアブラ虫の仲間です。アブラ虫は普通は羽のない姿で春にはヤチダモの葉の裏に寄生し、夏にはトドマツの根に寄生して根の液を吸いながら生活します、
その間に幾世代もが生まれ、最後の世代(やしゃ孫)が羽を持つ成虫になり晩秋の10月下旬から11月上旬にかけて、最初の寄生樹ヤチダモに移動するときだけ、白い綿をつけて飛ぶのでこれをユキムシと呼びます。
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by sinanoo | 2008-10-20 19:28 | つれづれ
浦河の神社 (9) 東栄神社
国道235号線沿い 井寒台と荻伏に境を接した東栄の住宅地に鎮座しています。
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          所在地  浦河町東栄159
          創立    明治42年(1909)9月
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                 神話に登場する神
                 漁業、商業をはじめ広く生業の守り神
          例祭    春4月12~13日 秋9月12~13日
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    由緒
明治42年(1909)島根県八束郡美保町(現松江市)に所在する「美保神社」に島根県より移住した山口富蔵が詣で玉串を奉げ、分霊をうけ後辺戸(しりえど)神社を創立しました。
昭和13年(1938)字名改正により東栄神社と改称
昭和23年(1948)、同28年(1953)社殿の改修をおこないました。
昭和50年(1975)9月社殿老朽化のため氏子協議のうえ、現在地にあらたにに15坪の社殿を建立しました。
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                拝殿に掲げられている由来、祭神の額
  祭神 事代主神と国譲り神話のこと
天照大神の弟神須佐之男命(スサノウノミコト)の子孫で出雲大社に祀られている多く大国主神の第一子といわれています。

天孫降臨に先立ち天照大神の使い、建御雷之男神(タケミカズキノオ)が出雲(島根県)に降り立ち、大国主に対して葦原中国(日本国土)の国譲りをせまりました。大国主は息子事代主が答えると云い、建御雷之男神は美保関におもむき釣りをしていた事代主に国譲りをせまると「承知した」と答え、船を踏み傾け手を逆に打って青柴垣にかえてそのなかに隠れてしまいました。
大国主の二子建御名方神(タケミナカタ)も建御雷之男神に服従すると大国主は出雲の国に津神(クニツガミ)を祀る壮大な社を建てることを条件に国譲りを承諾し「事代主が先頭に立てば180人の私の子供達は天津神(アマツガミ)には背かないだろうと云いました。

国譲りの神話で事代主が釣りをしていたことから釣り好きとされ、海との関係は深く七福神の一人「ゑびすさま」と同一視されています。
事代主が祀られている美保神社は全国に3000社を超えるゑびす神社の総本宮になっています。

  東栄神社の秋祭り
秋の例祭が行われる9月13日早朝から部落の人々が神社に集まり、神輿に魂入れして、9時に船にのせて港内を渡御します。船上から神社に向かって礼拝し酒、米などをまき供えて戻り、部落内を神輿が渡御します。
かつぐのは部落の若者で部落の角々で神輿をまわし勇壮な渡御です。昼12時に神社入りをして、一同神殿に詣でて豊漁への感謝を奉げます。
神社を中心にした地域の人々の結びつきの強さを感じる祭りです。
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    神社の敷地内に祀られている稲荷神社
    由緒等については不詳です


                           参考文献
                   東栄神社由来書  新浦河町史 
                   美保神社HP Wikipedia
 
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by sinanoo | 2008-10-16 19:41 | 浦河の神社
北海道八十八ケ所霊場50番札所 妙龍寺
   法の山 登りてけわし 妙龍寺 よろずのほとけ えみていませり
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JR浦河駅の前、山側に平成19年に開設された「北海道八十八ケ所霊場」50番札所、真言宗醍醐派の寺妙龍寺があります。
 妙龍寺のこと
大正元年(1912)弘法大師を祀り真言宗の浦河分教所として開設され、大正15年(1926)苫小牧より沖本妙道を住職として招き「妙龍寺」が設立されました。
北海道、とくに日高浦河の地には四国、西国からの移住者が多く、四国八十八ケ所、西国三十三ケ所など霊場巡拝の願望が強く、開設当時より寺の敷地である丘に、奥田惣兵衛を中心にした信者が四国八十八ケ所霊場の各寺の本尊をきざんだ石像を寄進し、小霊場として開設しました。

昭和12年4月(1937)真言宗の開祖弘法大師(空海)の入定1100年遠忌大法要を行い、この小霊場を「新四国八十八ケ所霊場」として入仏式をおこないました。
平成8年(1997)2代目住職沖本妙昌の死去により、住職が不在になり帯広の醍醐派の寺より僧侶が派遣され、行事、法要を行ってきました。
平成19年(2007)年「北海道八十八ケ所霊場」の開設にともない、開設期間の5月1日~10月31日まで住職が在寺し、巡拝者の対応にあたっています。

先日友人が企画し募った、妙龍寺「新四国八十八ケ所霊場」の巡拝に参加してきました。
古代史が好き、それにつながる神社が好きで神社まわりはしていますが、寺院についてはまるでダメ、私の家の宗派が真言宗であることや、開祖空海については、神社と空海のかかわりがあることから、信仰とはべつな意味で興味がありました。

巡拝勤行次第(じんぱいごんぎょうしだい)により、本堂で合掌礼拝、般若心経を読み、光明真言をとなえ、お賽銭をあげ、住職の先導で巡拝にでかけました。
正式な巡拝には、白衣を着、遍路笠をかぶり、念珠を持ち、同行二人(大師様と一緒)と書かれた金剛杖をついて廻るのですが今回は省略。e0104596_2043161.jpge0104596_2043071.jpg

寺からつづく1.2キロの遍路道、起伏のある山道に八十八の石像が並んでいます。e0104596_210586.jpg
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74番札所甲山寺 薬師如来(香川県)        80番札所国分寺 千手観音(香川県) 
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42番札所佛木寺 大日如来(愛媛県)        39番札所延光寺 薬師如来(高知県)
石像には寄進者の名前と、四国八十八ケ所の札所番号と本尊の名が彫りこまれており、ここを巡拝することにより、四国八十八ケ所すべての札所を巡拝したことになるといわれています。e0104596_21321910.jpg

丘の頂上、遍路道のなかほどに真言密教大日如来の化身といわれる不動明王の立像が2人の童子をしたがえてたっています。

緑が残る木々の間を歩き巡拝の従来の信仰にもとずくものや、現世、来世に利益を期待するほか、自分探しや癒しのために巡拝するのもまたひとつかもしれません。
                       
  北海道八十八ケ所霊場会 HP http://www.88reijyokai.com/
 
 
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by sinanoo | 2008-10-13 22:00 | つれづれ
今年の秋サケは不漁です
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            船から選別台に水揚げされるサケ

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            選別台で飛び跳ねるサケ
9月4日から順次解禁された秋サケの定置網漁もあと3週間たらず、
報道によると、道内沿岸の秋サケ漁は不漁で9月末までの漁獲量は、前年同月比20%減で過去5年間で最低の数字になっています。
当初、道の発表による秋サケの予想来遊数は5,063万匹でしたが、9月末までの漁獲量は1,590万匹にとどまっています。また小雨の影響で川に遡上するサケが少ないことから資源確保のため、網を上げざるを得ない漁業者もでており、根室管内では増殖用のサケの捕獲が計画を下回っているため、漁の一部自主規制をはじめています。

日高管内では前年同月比11.5%減の3,585t、945,377匹でえりも以東(えりも、庶野)39%減、以西7,4%の増で以東の落ち込み大きく、以西では浦河の3,3%減で他は増となっています。
浦河では漁場が4ヶ所あり9月10日から漁がはじまっています、9月末までの漁獲量は前年を下回っていますがあと、3週間味には定評のある日高のサケ、これからの来遊が期待されます。

  
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by sinanoo | 2008-10-09 17:52 | うらかわ いろいろ
浦河港にイカ船集結
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浦河沖のイカが豊漁です。
例年10月に入ると船の数も少なくなりますが、今年は八戸、函館、釧路など主要な港が不漁で、漁模様のよい浦河にイカ船が集まっています。
その数、80隻、港がイカ船で埋めつくされています。
夏の風物詩「漁火」がきえて3年、燃料の重油の高騰もあって、昼の操業になり、早朝4時出航夕方5時帰港、セリが行われ都市部に運ばれ、翌朝店頭に並びます。
浦河の料理店、居酒屋では夕方水揚げされた新鮮なイカを客に提供して好評です。
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発泡箱に詰められたイカが、船からセリ場にはこばれ、船の名前を書いた札を立て積み上げられます。
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    セリ場に積み上げられた発泡箱の山今日は約3000箱
ここ数日水揚げは順調で今日7日は発泡箱(25~20入り)3000箱、木箱(加工用50入り)3000箱、浜値は発泡箱で1000~1300円)木箱で3000円で、日本一安いといわれる浦河ですが、他の港の漁が少ないこともあって、小泊の友人によると「まあまあ」とのことです。

秋イカの漁は11月1杯つづきます。
このまま順調な漁が続くと、街にも活気がで、経済効果も期待できます。
平穏な海と、豊漁を祈るのみです。
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by sinanoo | 2008-10-07 21:46 | うらかわ いろいろ
浦河の神社 (8) 西幌別神社
 国道365号線牧場が広がる西幌別地区、天馬街道の左手、小高い丘の中腹に街を見下ろすように鎮座しています。
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         開基  明治年代 (詳細不明)
         祭神  稲荷大明神
         例祭日 9月22~23日

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   由緒
 明治年代 藤井某の個人神社として建立され藤井稲荷と呼ばれていました。
 大正4、5年頃(1915~16)部落に神社をとの住民の要望で、寄贈をうけ部落の守護神として奉斉しました
 昭和4、5年頃(1928~1930)祠が老朽化したため、駒沢利幸氏の祖父が神社の敷地として山林2町5反を 寄贈し10坪余の拝殿をそなえた神社を建立、部落の集会所としても利用されていました。
 昭和45年(1970)台風により社殿の屋根が飛ばされ、社殿も大破しました。
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そのため住民篤志家からの寄付により、住民の集会所を兼ねた神社会館を建立、鳥居も建立しました。
(写真は開村記念誌 拓土幌別 より転載)

 昭和56年3月(1981)会館の改築にあわせ会館の右隣りに1,5坪の神殿を建立あわせ2の鳥居を建 立しました。
 平成8年鳥居、参道の石段を補修しました。

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 祭神について
各開拓部落の神社の祭神は故郷の神社から分霊をうけていますが幌別は移住者多県にわたりまた移住した年も長e0104596_18233563.jpgい期間わたるため、個人の神社を奉斉したものとおもわれます。

稲荷神社の鳥居、社殿のほとんどは稲荷朱色とよばれる朱色に塗られていますが、西幌別神社は黄色に塗られています、なにか思い入れがあるのでは。と世話人の駒沢さんにお尋ねしたところ、色について、特別の意味はないとのことでした。

また眷属(けんぞく)として、稲荷神の使いとされる白狐ではなく狛犬(JRA 寄贈)が1対おかれています。

  幌別のこと
幌別は「ホルベツ」といい幌別川の源、カムイ岳の麓の岩窟より湧き出る故に名付けられたと言われています。
平成20年で開村137年を迎えた幌別は「肥沃なれど湿地所々あり」といわれ、開村当時湿原には丈余の葦が生い茂り、木を切り、土を耕し苦闘の開拓が続けられ、先人から今えと相継いで1世紀余にわたる苦闘の歳月が結実して酪農、優駿の生産地として進展をみせています。

幌別の歴史は文久年代(1861、1863)に神谷文茂が渡し守としてこの地に住み当時のコタンの先住民を支配して地歩を固めたと言われています。
明治4年(1871)福井県から高島弥平冶、石川県から金石佐兵衛が杣人(きこり)として移住しかたわら農業も営んでいた、この2人が最初の移住者と言われています。

移住は明治12年(1871)頃からその数をまし明治30年(1897)には76戸350人アイヌ15戸64人をかぞえ、入植者は福井県が最も多く、富山、石川、福井、徳島と各地にわたりました。

当時の原野は大半が浦河市街人の所有地で貸付地の小作人として鍬下年期3,4年、開拓料なし、という過酷な条件の下での開拓で生産物は生産が容易で運搬も貯蔵も比較的簡単だった大豆、小豆が主体で、明治34年(1901)に徳島からの鎌田九平の来住で藍作が始ったとされています。
                          参考文献
               幌別開村記念誌   拓土 幌別
               浦河町史   松浦武四郎 日誌
             
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by sinanoo | 2008-10-05 19:37 | 浦河の神社