温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
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日高山脈菜園 作男日誌 (6)今年の気候は変ですね
2日晴れたとおもったら又雨、気温もあがらず、作物の成長遅れています。
この低温続きで大根に被害がおよんでいます、当菜園では主力の辛大根が低温続きでトウが立って全滅です。

農家の人の話ですとやはり大根は駄目とのことです。
インゲンや枝豆も葉が黄色味をおびてきました、ピーマン、ししとうも成長しません、寒冷地に強いと云われるジャガイモがまあまあでしょうか。

菜園を囲む「しらかば」がおびただしい枯葉を落としています、秋のようそうです、まだ8月になるところですよ。

はやく夏の日差しがほしいですね。
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by sinanoo | 2008-07-31 23:01 | 菜園日誌
浦河港のイカ漁
イカ漁の外来船でにぎわった昨年と比べ、先週外来船5隻地元船1隻の6隻でちょっと寂しいイカ漁が始りました。

きょう港には先週までいた羅臼港の船は移動し、泊港1隻下前港1隻地元の船1隻の3隻にへっていました。

今年はイカがまだ小さく、発泡箱30杯入りが主で浜値で800円を切いるそうで、この燃料高のおり採算が合うわけはないでしょう。

小泊船団に所属する友人に電話したところ、いまは古平の沖で漁をしており、イカもかなり大きく20入もあり値もままだとか。

「浦河には今年は行けそうもないよ、安いからね」とつれない返事、でも浦河は漁場が近く、昼の漁なので燃料費がかなり削減できるはずで、イカの成長と回遊が増えることを祈るのみです。

地元経済えの波及効果がおおきいだけに。
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by sinanoo | 2008-07-29 22:00 | うらかわ いろいろ
天孫降臨の里 高千穂 (5) 荒立神社(あらたてじんじゃ)
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人里のなかにたち、人々の生活の場にとけこんだような、素朴なたたずまいをみせる神社です。
        祭神  猿田彦命 (サルタヒコノミコト)
             天鈿女命 (アマノウズメノミコト)
             大年神、興呂木家の先祖を祭る神社 

        例祭日 7月29日  1月第2日曜日
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荒立神社の名前の由来はサルタヒコとアマノウズメの結婚が急だったため、くるふし峰の後方から切り出した荒木のままで家を建てたことから来ている」といわれています。
後世、命を祀る社も荒木で白水造りとしたことから別名「荒建宮」の社名になったと云われています。

サルタヒコは道開きの神として交通安全、五穀豊穣、厄除け、安産、長寿に信仰があつく庚申としても有名です。
アマノウズメはアマテラスオオミカミが天の岩戸に隠れたとき、笹の葉を手に乳房も陰もあらわに乱舞し岩戸を開けさせました。この舞が現在の神楽のもとと云われています。ご利益は芸事の上達、厄除け、子宝、長寿で芸能人が参拝に訪れることで、知られています。
                                (現地案内板より)

古事記によればニニギノミコトが天降りしようとした時に、その道をさえぎろうとした神ががおり、アマテラスオオミカミがお供の女神アマノウズメに向かって、その神のもとに行って、その神が誰であるかたずねるように命じました。
その神が国つ神サルタヒコで、ニニギノミコトの先導役として迎えにきたと答えました。サルタヒコはこのときすでに土着していた国つ神で、この縁によって天つ神アマノウズメとの結婚が成立したのです。

サルタヒコがいなければニニギノミコトは降臨できなかったはずで、サルタヒコはニニギノミコトについた縄文人です。

アマノウズメは猿女君(さるめきみ)とよばれ、猿女氏の先祖とされ古代から朝廷の祭祀に関わってきた氏族の1つです。
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サルタヒコは神楽では天狗の姿であらはされ、
妻となったアマノウズメはおかめの姿であらはされています。
自然人類学の説にしたがえば、鼻が高く眼がおおきくほりの深いサルタヒコは縄文人で、鼻が低く眼が小さく顔の凹凸がすくないアマノウズメは弥生人で、つまり天狗は縄文人、おかめは弥生人ということになります。

狩猟採集をなりわいとする土着の縄文人と稲作農業をもって渡来した弥生人のいわば国際結婚によって、日本民族がうまれたことを意味します。
この国際結婚があったからこそ、渡来の天孫族の長ニニギノミコトと土着のオオヤマツミの娘コノハナサクヤヒメの結婚が可能になったと考えられます。


荒立神社には鎌倉時代に作られたサルタヒコとアマニウズメの1対の木像が、仲良くならんでまつられています。まるで神話をめのあたりにするようです。

以前はこのほかに2対の木像が祀られていましたが、明治末期の神社合祀政策により荒立神社は高千穂神社に統合され2対の木像も高千穂神社にうつされ、復社後も高千穂神社に祀られています。
(公開されていないため、拝願することはできませんでした)がこの2対は日本神道の対立する人の心を説明する認識的なことになる 荒魂(あらみたま 神霊の荒々しい状態) 和魂(にぎみたま 神霊のなごんだおだやかな状態)をあらわした木像で、荒立神社の1対はその中間の状態の木像だそうです。


 
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by sinanoo | 2008-07-25 22:03 | 神社紀行
日高山脈菜園 作男日誌(5) 大根の花が咲いてしまった
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大根畑の辛大根の列に2本3本と花が咲きました。清楚で薄紫色の可憐な花ですが
大根の根が大きくならないうちに、トウがたってしまったわけです。

トウがたつ、は食用に値するものができるまえに、茎が伸びて花を咲かせるもので、大根の成長期にはほとんどみられません。

原因としては、寒い時期に花をつけることがあるそうで、7月中旬を過ぎたというのに、気温はあがりません、種、保存のために花を咲かせ、実をつけるのでしょう。
この菜園でも6月寒い日がつづいたとき、ほうれん草が突然つぼみをつけびっくりしました。

大根をしらべてみたら、花のつぼみをつけた茎があちこちでみつかり、今年の春の辛大根は期待できないか、
からっと晴れて気温もあがってほしいですね


「適齢期」をすぎた女性にたいして「トウが立つ」と云う言葉を使うことがありますが、信州の農家人達が比喩として「うちの娘もそろそろトウが立ってきた、花を咲かせて売り物にならなくなった大根のようになるまえに、嫁にいってもらわないと」と使っていたのが一般化したもののようです。
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by sinanoo | 2008-07-20 19:32 | 菜園日誌
天孫降臨の里 高千穂(4) 高天原遥拝所、天真名井
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  高天原遥拝所(たかまがはら ようはいじょ)

くしふる神社の右側、くしふる峰の峰つづきに高天原と呼ばれている場所があります。
地上に高天原とはおかしな話ですが、これは高天原の遥拝所でニニギノミコトが地上に降り立ったのち、神々がこの地から遠い彼らの故郷を偲び、遥拝したと伝えられています。

いまでは大木がおいしげり先を見ることはできません。
その故郷とはどこなのか、朝鮮半島か中国大陸なのか、梅原 猛氏によると「記紀の作者はその地がどこかぼんやりとわかっていた」と書いています。

しかし渡来したこの天孫族こそ「この国を統治すべし」との命令を天から与えられたものとして、高天原という天の一角から来たと称したのでしょう。
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  天真名井(あまのまない)

くしふる神社の参道から左手に曲がり住宅街の細い路地をおりると、神代川のほとりにある天真名井にでます。
推定千三百年の欅(けやき)の根元から清水がこんこんと湧き出ています。

天孫降臨のときこの地に水がなかったため、ニニギノミコトがアメノムラクモノミコトに命じ、再び天に上がり高天原の水の種を移した場所、と伝えられています。

春の高千穂神社、秋のくしふる神社の例祭では、旅どころとなり神楽が奉納されます。
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by sinanoo | 2008-07-18 16:48 | 神社紀行
天孫降臨の里 高千穂(3) (くしふる神社)
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くしふる峰の中腹、大木が両脇をおおう石段を登ると、くるふし神社が鎮座しています。
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   くるふし神社 由緒

 くしふる神社の鎮座するくしふるの峰は肇国の昔天孫瓊々杵尊が三種の神器を奉戴してこの国を治める為に天降られた聖地として古史に記されています。 往昔は社殿はなく山そのものを神と崇めて高千穂八十八社の一つに数えていましたが十社大宮司を はじめ往古の聖跡を慕う歴代延岡藩主の熱望と高千穂十八郷の民力とにより元禄七年(一六九四)六月十五日に社殿が建立されました
古来武神としての信仰が厚く またわが国の神道流布根源の地として広く信仰され高天原   四皇子峯 とともに高千穂を代表する聖地であります
  
   
   御祭神
    天児屋根命  経津主命
    天津彦々火瓊々杵尊
    天太玉命   武甕槌命                     神社由緒書より
   例祭日  体育の日


くしふる神社が鎮座するくしふる山は、天孫降臨の伝承地の一つで他に霧島山の高千穂峰があり、昔からどちらが高千穂か、論争がおこなはれてきましたが、いまだ決着がついていません。

天から神々が降りてくるというイメージからするとくるふし山は、里山という感じで霧島山の高千穂峰、宮崎県の最高峰祖父山、高千穂を見下ろす二上山に比べると天孫降臨の場所としては見劣りがします。

しかし史実を基にして考えると、武力をもった天孫族がこの地に侵入し土着の民と対峙した、と考えた場合、神社の裏手にある国つ神サルタヒコを祀る荒立神社、この一帯をコウロギの里と呼ばれるくるふし山は、他の山よりも天孫降臨の舞台にふさわしいとおもえてきます。


(撮影した写真が真っ黒、なんとかみられるようになりました、カメラは7~8年前のバカチョンですでに製造会社もなくなっているという代物です。お見苦しい写真で申し訳ありません)


 
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by sinanoo | 2008-07-17 15:03 | 神社紀行
天孫降臨の里 高千穂 (2) 2つの高千穂
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       国見ケ丘から高千穂の街を望む
神武天皇の孫タテイワツノミコトが国見をしたといわれる標高513㍍の丘です。
秋から初冬にかけて、快晴で無風の冷え込んだ朝、雲海が高千穂盆地を覆い、その幻想的な情景は有名です。

天孫が降臨された高千穂は、霧島山の高千穂峰と西臼杵郡の高千穂の2説があり、本居宣長(もとおりのりなが)は注釈書のなかで「いろいろな考証をしたあとで、どちらとも決め難い」と2説を併記しました。
平田篤胤(ひらたあつたね)をはじめ後世の注釈者は、ほとんど宣長にならい2説を併記しており、いまだ決着がついていません。


街のここそこに神々の面影を思わせる史跡がの数多く残され、数多くの神社が祀られており、神話と史実、そんななかで「神話の里」高千穂へ2度めの旅にでました。

高千穂神社を訪れ、くしふる神社、荒立神社、高天原遥拝所、天岩戸神社、国見ケ丘、などをめぐって来ました。
神話のなかにみる、情景と史実、そんななかからここ高千穂が天孫降臨の地ではないか、と感じました。


ニニギノミコトは天からやってきたのです。
「空の八重の雲をおし分けて天の浮橋に降りて、筑紫日向のくるふし峰に天降り、そしてミコトは「此地(ここ)は韓国(からくに)に向かい、笠沙(かささ)の御崎(みさき)に眞木通(まきとほり)りて、朝の直刺す(たださす)国、夕日の照る国ぞ。かれ、此地(ここ)は、いと吉き地(よきところ)」と語ったといいます。(古事記)

 天孫族はどこからどうやって来たのでしょうか。

「韓国に向い」は彼らが来た国をさしているのではないか、「笠沙の御崎に眞木通り」も韓国から野間半島笠沙の岬にやってきて、それから高千穂に来た、と解釈しなければならないとおもいます。

ニニギノミコトを長とする天孫族は何かの理由で、新しい国を求めて日本にやって来たものと思います。
 本国において戦乱があり、飢饉がありイギリスからアメリカに渡った移民のように、追い詰められて、旅にでたのでしょう。
 かれらはただの農民ではなく、戦うための武器を持っていなければ、見知らぬ土地で新しい国わつくることは不可能で、屯田兵のように兵士にして農民という天孫族が日本にやって来たのです。

その上陸地点は伝承が語るように、野間半島の笠沙だろうと思われます。
この笠沙一帯は黒潮が回遊し遣唐船が数多く漂着した場所で、天孫族も黒潮にのってこの地に漂着したものでしょう。

(天孫族が韓国(からくに)から、と古事記には書かれていますが、中国ではないかという説もあります、戦乱により国を追われたとなると、天孫族がやってきたと考えられている弥生の中期から後期、中国は戦乱の最中で敗れた国の住民ではないか、との解釈です。)


ニニギノミコトが海からやって来たと云う伝承は記紀の伝承と矛盾します。記紀の伝承によればニニギノミコトは海からではなく、天からやって来たことになっているからです。

しかし天からやって来ることは、ニニギノミコトが神であっても人間神である以上不可能なことで、やはり海の向こうから、と考えなくてはならないでしょう。

すぐれた稲作技術を持つ天孫族は稲作に適した土地を探さねばなりません。
霧島を高千穂と考えると、この地は有名なシラス台地で稲作は難しく、いまでもこの土地は稲作農業が根付かず、畑作です。

天孫族がやって来たのは弥生期の中期から後期と考えられており、稲作に適した土地はすでに先にやって来た稲作農民によって占められており、稲作適地を探すことは容易なことではなかったでしょう。

薩摩の笠沙から西臼杵の高千穂にいたるまでは、過酷な旅であったでしょう。
長いシラス台地を経て、延々とつづく山地、おそらく海岸の平野や山あいの盆地は、すでに先住の稲作農民によって占められていたでしょう、
長い旅を経てようやく高千穂に到ったとおもいます。

私も高千穂を歩いたり、国見ケ丘からの遠望で高千穂は周囲を山に囲まれた猫の額のような狭い土地ですが、水の豊かなところで平地は少ないが山を耕した見事な水田が広がり、ニニギノミコトが、「此地は、いと吉き地」と語ったという言葉が実感できました。
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by sinanoo | 2008-07-15 20:23 | 神社紀行
日高山脈菜園 「作男日誌」 (4) 大根
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 大根も順調に成育しています。

(大根の葉の間にみえる白っぽいもの、石です。この地は山の崩壊堆積が覆っているために凝灰岩、砂岩が多く鍬をいれるとこぶしだいの石にぶつかります、ふるいにかけると3分の1は石です、ですから大根の肌も美肌とは行きません。石拾いも大変な作業です。)

今年は薬味用に辛味大根を主体に栽培しています、
辛味大根は秋撒きの品種が多いのですが、春撒きの品種もあり条件によっては辛味がまします。

辛味をます栽培は、肥料をできるだけ控え、水もできるだけ控え、大根にストレスをあたえると辛味がまします。人間さまと同じですね。

春撒きした辛味大根は
     雪美人ミニ大根(サカタ交配) おいばね(交配種) 辛味595(交配種)
間引きした大根をかじってみたら、辛味充分、これからもいじめぬいて育てます。
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茄子、ピーマン、ししとう
すべて無農薬で栽培していますので、農薬は勿論除草剤も使いません。

今年5月低温が続き保温と害虫よけのために、パウパウ(寒冷紗)のトンネルをかけました、枝がのびたのではずしました、茄子の成育は順調でしたが、雑草も生長・・・途中の除草を怠ったせいですね。

この畑10数年放置されていたために、雑草の種が集積されていたのでしょう、除草しても新しい雑草がすざましいいきおいで芽をだします。
昨年も除草に追われましたが、今年も雑草との戦いが続くでしょう。
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by sinanoo | 2008-07-11 15:49 | 菜園日誌
日高山脈菜園 作男日誌 「3」
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じゃがいもの花が満開です。可憐な花ですね。

じゃがいもの葉が伸びすぎてしまいました、芽を欠いて万全をきしたつもりでしたが、これではじゃがいもの形はちいさいでしょう。
元肥の失敗でしようか。
作付け2年目も昨年と同じく不評をかうでしょうね

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じゃがいもの花は品種によって花の色が違います。
上段 左から「男爵」「メークイン」「紅丸」「インカのめざめ」です。

信州では昔は馬鈴薯とよんでいましたが、今は全国的に「じゃがいも」と呼ぶのでしょうか。

 
 
   
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by sinanoo | 2008-07-10 20:19 | 菜園日誌
浦河の神社 (4)杵臼神社 (神社と鳥居)
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 神社には鳥居がつきものです。
神社以外でも神仏習合のなごりで、鳥居としめ縄が飾られている寺院があります。

 杵臼神社(神明鳥居)
 
鳥居ってなに?
鳥居は神社などにおいて、神域と人が住む俗界を区分するもので、神域への門です。

鳥居の起源も諸説があり確かなことはわかりませんが、天照大神を岩戸から誘い出すときに啼かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)を止まり木に止まらせた、それが鳥居の起源だと云う説があります。

語源についても諸説があり、鶏の止まり木意味する「鶏居」を語源とする説や、「とうりいる(通り入る)」が転じたと云う説もあります。

鳥居の形は大別すると神明鳥居(しんめいとりい)と明神鳥居(みょうじんとりい)分別され、さらにいろいろな形があります。
 鳥居の形は寄進者の好みによるものが多く、鹿島神宮では、神明鳥居と明神鳥居が建てられており、祭神と関連性をもつことは少ないようです。
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 神明鳥居は素朴な形式で全体が直線的で、柱は丸型で地面に垂直にたっています。

 伊勢神宮(神明鳥居)
 神明鳥居から派生した鳥居の形は、伊勢鳥居、靖国鳥居、内宮源鳥居、定忠鳥居などがあります。
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 明神鳥居は装飾的形で全体に曲線的で、柱は地面に対し少し斜めに立っています。

 厳島神社(明神鳥居)
 明神鳥居から派生した鳥居の形は、春日鳥居、八幡鳥居、稲荷鳥居、山王鳥居、両部鳥居、三柱鳥居などがあります。

 材料もさまざまで木材(檜、杉 桂)石、近年では鉄パイプ、コンクリート製の鳥居が多くみられます。
 また神社所在地の特産品の材料を使ったり、神社の名に由来した材料を使った鳥居もあり、佐賀県有田町にある陶山神社は陶磁器製、京都八幡神社内にある飛行神社はジュラルミン製、秋田県八郎潟町にある副川神社は塩化ビニール製で、その他の材料による鳥居も多くあるそうです。

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鳥居の色についてもさまざまですが、稲荷神社の鳥居は朱色で「赤い鳥居のお稲荷さん」と呼ばれ、社殿と同じ「稲荷塗」といわれる朱で彩色されるのが慣わしになっています。
 この朱色は稲荷神の眷属(けんぞく)狐がくわえている宝玉が火焔で、炎の色からきたものと考えられます。
 神社参拝のさい、鳥居をくぐりながら神明鳥居か明神鳥居かと考えるのも一興かもしれません。 

 
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by sinanoo | 2008-07-05 20:50 | 浦河の神社