温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
カテゴリ
全体
ごあいさつ
浦河の神社
神社紀行
うらかわ いろいろ
つれづれ

ふるさと信州

素敵なお店
60歳代のPC塾
馬 牧場
おやじのたわごと
花 木 自然
菜園日誌
LIVE
未分類
未分類
以前の記事
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2011年 05月
2011年 02月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 11月
フォロー中のブログ
++ うららの里のブログ ++
うまきちの『勝手にかわら版』
==  リンク集  ==
最新のトラックバック
環境 リンク集
from 環境 リンク集
感謝をこめてプレゼント
from 無料プレゼントいたします。
沖縄情報
from 太陽と海の楽園♪沖縄
旅のお供に!
from 観光総合ガイド
スキー&スノーボードの情..
from 雪山小僧
スキーとスノーボードの情..
from 雪山小僧♪
紅葉映える 天馬街道
from ++ うららの里の 地域情報..
競馬は文化だ。シリーズ3
from うまきちの『勝手にかわら版』
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
<   2008年 06月 ( 9 )   > この月の画像一覧
浦河の神社 (4)  杵臼神社
e0104596_16302554.jpg
 
 杵臼の牧場がひろがる丘の麓に鎮座しています。春、さくらの季節には遠くからみると神社が、桜の花のなかに埋まってみえます。

 神明造りの鳥居をくぐると、灯ろうと篝火台がおかれ、境内を流れる小川にかかる橋をわたると、拝殿と神殿が2段になった900坪の敷地に建つ歴史ある神社です。

 神社本庁に包括され、明治35年には旧村社別格にも列していました。
e0104596_16474638.jpg
 
           正面からみた拝殿  裏に神殿があります
e0104596_16504628.jpg
 
           神殿は拝殿より1段高くなっています
      祭神 天照大神(アマテラスオオミカミ)
            神話に登場する神で太陽を神格化した神
          保食神(ウケモツカミ)
            神話に登場する女神で食物の神
          応神天皇(オオジンテンノウ)
            実在されるという古代の天皇
      例祭 9月22日~23日

  由緒
 明治4年(1827)肥後国(熊本県)天草郡より北海道開拓施策に応募した31戸93人が、4月15日私船で長崎まで行き、西被杵郡から渡道する西舎開拓団と合流し、5月3日長崎港を出航、一路日本海を北上し、5月13日10日間の船旅のすえ浦河港に到着、故郷をでて1カ月の長旅でした。

 到着後浦河で旅の疲れをいやし5月16日に開拓の一歩をしるしました。

入植後の5月杵臼神社を創設、11年に設立しました。
 故郷熊本の地は天孫降臨を伝える神話の里であり、天照大神を祭神として迎えたのは、人々の心のなかに宿る神であったからでしょう。

 南の国から北の酷寒の地えの移住、故郷をしのびながら多くの苦難をなめ、望郷の念に駆られていったことでしょう。

 当時天草まではあまりにも遠く、船以外に交通の便がなく故郷訪問などは思いもよらないことでした。

 江戸時代の末期から明治にかけて、内地では、伊勢講というあつまりが盛んにおこなわれていました、
 伊勢講とは部落のものが毎年お金を積み立て、何人かが交代でお伊勢詣でする、というもので、入植者がこれをまね、毎年1回回り順で会合しお伊勢詣での積み立てをして、一生に一度お伊勢詣でをし、京、大阪ついでに故郷まで訪れようと計画しました。

 しかし旅費が多額で積立金が足りず、また交通が不便なため実現できず、断念、解散し部落全員の協議の結果積立金で明治16年祠を建立しました。

 20年の歳月経て祠が腐朽したため明治34年(1901)6月8日神殿を新築、44年に現在地に移転し、大正9年5月18日には開村50年祭事業として拝殿の新築、鳥居の建立、記念碑の建立がおこなはれ、神殿4坪、拝殿15坪平屋4・5坪の現在の神社のかたちがつくられました。
e0104596_18492868.jpg



   篝火台
 篝火は夜、灯りをとるために焚くもので薪を使うのが通常です。
 浦河では篝火台があるのは、杵臼神社だけです。

 伊勢神宮の1月1日の篝火が有名です。
e0104596_1903839.jpg


 昭和45年(1970)11月5日杵臼開基100年の記念式典が行われ神社の補修、鳥居の建立が行われました。

 平成2年(1990)11月10日杵臼開基120年記念式典が行われ神社の補修、鳥居に建立、
篝火台、灯ろうが建立されました。  

 杵臼の人々の心の支えとしての杵臼神社への信仰は開基138年にもおよぶ杵臼の歴史そのものです。

 杵臼神社は伊勢神宮と似た雰囲気を感じます、伊勢神宮と同じ神明造りの鳥居、五十鈴川に模した小川、橋を渡っての参拝それに篝火台、考えすぎでしょうか,

いや杵臼神社をかたちづくる際に先人の伊勢神宮えの想いをこめたものでしょう。

                            引用 参考文献
                                   新浦河町史
                                   杵臼開基120年史「拓魂」
                              

 




                       





  
 

   
[PR]
by sinanoo | 2008-06-30 19:58 | 浦河の神社
日高山脈菜園 作男日誌 「2」
e0104596_17592115.jpg

 ジャガイモの葉が一面に繁ってきました。

春先に牧場からいただいた堆肥を耕運機ですき込み、ジャガイモ用の化学肥料を散布し、10日間位日光にあて発芽させた種芋を5/13に植え付けました。

    8㍍の長さの畝    6畝 メークイン(十勝大樹産種芋)
    7㍍の長さの畝    8畝 男爵(ホーマックより購入 産地不明)
                     紅丸(十勝産種芋)
                     インカのめざめ( 〃)
   紅丸は友人の依頼で植え付け、芋団子の原料にするそうです。

 6/10 15㌢位に成長した葉を1本~3本残して芽かき、(昨年は芽かきをしなかったため、形が小さく不評でした) 残した芽の数で芋の大きさがきまるそうで、実験的に1~3本にしてそれぞれの大きさを比べてみようと思っています。

 芽かきをしたあと追肥、1回目の土寄せをしました。

 6/26 2回目の土寄せ、追肥を考えていたのですが肥料を購入している、JA資材部のお姉さん?から(元肥がしっかり入っていれば追肥の必要はない)と忠告され土寄せのみおこないました。

 これでジャガイモについては基本的な仕事は終わり、あとは除草のみ、 とらぬタヌキの皮算用にならなければいいんですがねー。
e0104596_18561932.jpg

今年の初収穫はラデッツシュ(サカタ交配F1 レッドチャイム)です、
 90㌢×2㍍の床を4ヶ所つくり種まき日をずらして、秋口まで栽培する予定で最初の栽培は6/18~23で終わり、すなし、そろいも抜群でした。

 この品種早生品種で18~20℃が適温で、気温が上がってくる夏には適していないようで、暑さに対応する品種にかえるか、発芽したら寒冷紗で日除けをするか、迷っています。

  ホウレンソウ
 8㍍の畝を3本つくり、日をずらして栽培する予定です、1回目は早生品種のトライ(タイキ交配)でホウレンソウ特有の濃い緑と大きな葉ではなく、やわらかい葉と茎をもちサラダにも向く品種です。
 これからは夏に向く品種おかめ(タイキ交配) 晩夏に向く品種タイタン(サカタ交配)とまく種も変わってゆきます。


 

 

    
[PR]
by sinanoo | 2008-06-25 19:36 | 菜園日誌
乳呑(ちのみ)稲荷神社   「稲荷神と狐と油揚げ」 
e0104596_1423194.jpg
  稲荷神社の多くは、狛犬のかわりに宝珠(火焔の玉)をくわえた狐がおかれています。
また他の祭神とはちがい稲荷神には、神酒、赤飯に加え狐の好物とされる油揚げが供えられます。

このことから油揚げを使った料理を稲荷(いなり)といい、油揚げにご飯を詰めた”いなり寿司”
油揚げの入ったうどんを”きつねうどん”と呼ぶようになりました。

 稲荷神の使いとして稲荷神社に狐がいることは今ではあたりまえのことですが、その由来は意外とよく分かっておらず様々な意見が交わされています。
 なかには「狐は狼から生まれた」という系統学までとびだして、無茶苦茶なことと思いましたが、狐研究においては伝統的な考えで、しかもこれが主流だそうです。

 梅原猛によれば「稲荷神に関わる古代有力氏である秦氏が(日本書紀)のなかで狼と共に登場している、また日本書紀の(欽明天皇即位記)によれば、秦氏と関係のある動物はもともと狐より狼である」

 「伏見稲荷神の眷属(けんぞく)もかっては、狼か山犬ではなかったか、それがいつのまにか里近くに住む狐に置き換えられたと考えられる」と断じています。

 狐を稲荷神の眷属(けんぞく)とする、民間信仰は中世より始まったとされ、また江戸前期には狐そのものを稲荷神とする信仰もありました。

   狐と油揚げ
 狐は肉食の動物で農作物は食べず、農作物に害を与える鼠などを食べることから、農業神といわれてきましたが、中世になって人を化かすとか、呪いを持つ動物といわれるようになってきました。

 『狐がなぜ油揚げを』 こんな話が伝わっています。
狐を農業の守神として敬っていた農民が、収穫した野菜などを狐のすむ穴の入り口に供えていましたが、元来肉食の狐は食べるはずがありません、1人の農民が余った油揚げを供えたところなくなっていたそうです。

 狐にしてみれば野菜よりはずっと上等なものだったのでしょう、それ以後狐の好物は油揚げと云われるようになったそうです。


 

 
[PR]
by sinanoo | 2008-06-19 15:19 | 浦河の神社
浦河の神社 (3)  乳呑(ちのみ)稲荷神社
e0104596_17876.jpg
         
  東町ちのみ1-60 
         祭神   伏見稲荷大明神
         例祭   9/ 14 ~16
e0104596_17143175.jpg
 
                社殿
 日赤病院の横を流れるチノミ川をへだてた小高い丘のうえに鎮座しています。

 この地はアイヌ語でチノミといい神を拝する場所という意味です、チノミが漢字表記でなぜ乳呑と表記されるようになったかは、分かりませんが、明治6年の札幌本庁の記録を見ると「茅實村」と記載されています。

 いづれにしろこの地の名前をとって、乳呑神社となずけたものでしょう。

乳呑神社は明治26年7月9日チノミの地に越前国(福井県)から移住してきた田中善三郎が、自らの所有地に稲荷大明神を奉斉したもので、当初は田中稲荷と呼ばれていたそうです。

 浦河地区えの移住は杵臼え明治4年天草から、14年赤心社が西舎え、向別えは18年、絵笛には20年と各地に広がっています、
 田中善三郎がチノミに移住した明治26年の状況をみると、営農をする移住者はすでにおり、アイヌの人々の住居もあり、農業以外を生業とする移住者の1人ではないかと考えられます。

 e0104596_17571313.jpg

 e0104596_18312689.jpg
 当初立てられた朱塗りの2基の鳥居は倒壊し、住民の手によって白木の鳥居が立てられましたが、ながい年月による傷みも激しく、平成8年鉄製の鳥居に立て替えられました。

 社殿も破損のたびに補修を繰り返してきましたが、平成13年に大規模な修復工事を行い、社殿に通ずる77段の石段もせいびされました。
 例祭は当初9/7~8でしたが浦河神社の祭礼に近いため、経済的な事情もあって浦河神社の例祭と同じ9/14~16におこなっています。

 神社には鱗別神社から譲り受けたという子供神輿と、近年篤志家から奉納された子供神輿が2基あり、祭りの当日は子供神輿が町内をねりあるき、祭りの雰囲気を盛り上げています。

 氏子で組織する神社委員会が、資産の管理活用、神社の維持管理を行っています。
[PR]
by sinanoo | 2008-06-16 18:31 | 浦河の神社
日高山脈菜園 作男日誌 「1」
e0104596_18511855.jpg

 街から車で25分、上杵臼の牧場に隣接する260坪の畑を無償で借り受け、昨年、試験的に作付けし、今年から本格的に野菜造りをはじめました。

 国道236号線(天馬街道)に面し、四方を白樺とエボタに囲まれた畑です。菜園のオーナーは日本料理店の店主で、私は自分の好きなものつくる、好きなようにつくる、と言う条件でボランテア作男を引き受けました。

 3月から苗作りを始め、カッコウの鳴き始めた5月上旬から、石灰を散布し堆肥、元肥をいれ、畝をつくり、種まき、苗の移植と、農作業も一段落し畑が緑に埋まることを願っています。
    e0104596_19221588.jpg
 
今年友人から借りた耕耘機です、小型ですが威力抜群、前期高齢者の作男にはありがたい機械です。
 e0104596_19353567.jpg 




 これも借り物の草刈機です、昨年は手刈でした、借り物だらけの菜園です。


 作男、信州の百姓の子倅で,田畑を耕し自給自足の生活をしたのが18歳まで、それから数十年のブランクがあり、ちょっと心配ですがね。


 これから菜園や野菜について書きます、野菜作りの知恵をご伝授くだされば幸いです。
[PR]
by sinanoo | 2008-06-14 19:55 | 菜園日誌
日本ダービー馬 デープスカイのふるさと 笠松牧場
e0104596_18374521.jpg


 日本ダービー(東京優駿)を制したデープスカイのふるさと、笠松牧場は浦河町東栄、国道236号線を山側に入ったところにあります。


 廃業した牧場を買い取り創業20年での、ダービー馬の誕生、まさに最速での栄冠です。

 
e0104596_18482080.jpg

                    牧場 全景
e0104596_18503546.jpg

                    厩舎

 小高い丘が重なるように広がる55ヘクタールの牧場に、18頭の繁殖馬を9人の従業員で世話をしています。

 デープスカイの父は、2001年に弥生賞、皐月賞を勝ったあと、浅屈健炎を発生し引退『幻の三冠馬」とよばれた「アグネスタキオン」  母は繁殖馬として輸入された「アピ」で今年で13歳になります、デープスカイは「アピ」の日本での出産、2頭めの仔です。

 「アピ」には会えなかったのが、心残りでしたが、今はみごもっているそうです。
e0104596_1984228.jpg
e0104596_19324482.jpg

 現在牧場には、2歳の「タイキシャトル」の牡馬、当歳でマンハッタンカフェの牡馬がおり、活躍が期待されています。

e0104596_19281938.jpg

      お祝いに贈られた花で 応接間は一杯です。
 
[PR]
by sinanoo | 2008-06-11 19:43 | 馬 牧場
初夏の花
e0104596_12184512.jpg

 浦河西舎の町道に面した牧場です。桜の時期には満開の桜のしたで、仔馬たちが元気に駆け回り、絶好の撮影ポイントです。
 
 あれから1ヵ月仔馬もおおきくなりました、ツツジが咲きそい、たんぽぽのみが風に舞う中で仔馬が母馬にからだを寄せて乳をねだっていました。
e0104596_12403725.jpg

 上杵臼の菜園の隅に咲くツツジです。高さ4メートルを超えるでしょうか、人の手がかかっていないので野性的なうつくしさです。
  「 つつじいけて 其陰(そのかげ)に 干鱈(ほしたら)さく 女」   松尾芭蕉
     (ツツジ科)  皐月に似ていて間違えやすい、アザレアも同じツツジ科
e0104596_12562187.jpg
e0104596_12555812.jpg

    ボケ(木瓜)   ばら科  中国大陸 平安時代の帰化植物
 実が瓜に似ており(木瓜 もけ と呼ばれていたものが ぼけに転訛した)といわれています。

 紅花がヒボケ  白花がシロボケ  紅白の花はサラボケとよばれ、地面を低く斜上して枝をのばしさく日本原産の草ボケがあります。   
  
[PR]
by sinanoo | 2008-06-07 13:12 | 花 木 自然
伊勢、鳥羽えの旅
 久しぶりの旅は伊勢、鳥羽でした。

 台風4号の余波を気にしながら、千歳空港から1番機でセントレア空港え、

5年まえ愛知万博を観に来て以来のセントレア空港です、この空港は千歳や羽田空港のように増築をかさね、横に長く、移動に大変な空港とは違い海を埋め立てた正方形にちかい建物で、広くゆったりとした空間をもつ近代的な空港です。
e0104596_18145743.jpg

 中央のエスカレーターの左右に100店舗以上の地元や東西の有名店」がショッピング街を形成しています。
 ヨーロッパ調の開放的な街並のレンガ通り、照明をおとした古い町並のちょうちん横丁があり、テーマパークのような賑わいです。
e0104596_18265969.jpg

 4階に空港でははじめてという展望風呂があり、万博の時珍しさもあって入ってみました、展望というからには飛行機の発着が浴室からみられると思っていましたら、塀で目隠しされていました、係りに聞いたら「浴室からみえると云うことは、向こうからもみえると云うことことなので」だったらただの銭湯、展望風呂なんて云わなければいいのに。
e0104596_18403067.jpg

 空港のそばから高速船で松阪港え、バスに乗り換え松阪に工場をおく、セントラル硝子、愛知機械の巨大な工場群のあいだをぬけ20分で松阪駅え、レンタカーで伊勢神宮到着が13時、5時間の旅でした。
e0104596_18525743.jpg
 俗界と聖地を遮るという宇治橋を渡り手洗舎で身を清め、天照大神の祀られている御正殿に参拝し、広い神宮林を歩いて別宮をまわっててきました。
 みどり濃い木々かさなる林の中にへんぽんとひるがえる日の丸、さすが天皇家の神社だな、とかんじました。

 ごみひとつ落ちていない参道、みどりあふれる清らかな気持ちに満ちる聖地です。

 内宮のそばにある「おかげ横丁」
e0104596_19163528.jpg

 古くから伊勢参拝の旅人で賑わったおはらい町、その中ほどに「おかげ横丁」があります。平成5年に内宮の門前町で300年商いを続けている「赤福」が、長い商いはお伊勢さんの「おかげ」江戸時代に流行した「お蔭参り」の「おかげ」からが命名の由来とか。
 
江戸末期から明治にかけての建物を移設したもので、レトロな町並に飲食、物販に資料館あわせて43軒が軒を連ねています。神宮の参詣者のほとんどが、立ち寄り飲食、おみやげを買い求めていくそうで、やはり 「おかげ」ですね。
e0104596_1935196.jpg
 賞味期限の偽装で有名になった「赤福」の内宮前店です、おかげ横丁の真ん中に本店と分店ががあり3店で赤福を販売しています。
 つみ上がられた赤福が飛ぶように売れています、やはり伊勢の土産は赤福なんですね。
e0104596_19433531.jpg

    「おかげ座」   江戸時代のおかげ参りが体験できます。   

    
 雨が激しくなり早々にこの日の宿、志摩グランドホテルえ
e0104596_201977.jpg

         ホテルの夕食です

 2日目は雨も上がり、内宮の宮域外別宮、月読宮、倭宮をまわって、外宮え
e0104596_2072871.gif
 外宮は食の神豊受御大神を祀った神社です、内宮にくらべ参詣者はすくなく、ゆっくり参詣できました。

松阪では松阪牛の焼肉を、値段におじけずいて断念、来たコース逆にたどって帰路ににつきました。
 お土産には「赤福」をとおもっていたのですが、伊勢で買うと荷物になるので空港の売店でと考えていたのですが、すでに売り切れ、しかたなく赤福ににた「お福餅」でご勘弁を。

 帰りの飛行機は大揺れ、でも目的地千歳に遅れたものの無事着陸、浦河にたどりついたのが0時10分でした。

 疲れましたたが、充実した楽しい旅でした。





 
[PR]
by sinanoo | 2008-06-03 20:28 |
伊勢神宮 (4) 式年遷宮
 伊勢神宮の最大の大祭に式年遷宮があります。
e0104596_12291336.jpg

 654年天武天皇が式年遷宮の制を制定し、持統天皇が690年第1回の式年遷宮を行いました、20年ごとに宮処(敷地)を改め御神殿を新しくし、ご装束神宝(神様の衣装や調度品)百数十点をすべて新しく調え、大御神を神殿に移します。

1300年の間に61回、戦国時代に中断、第二次世界大戦中に延期はあったものの、2013年(平成25年)の62回式年遷宮に向2005年(平成17年)から準備がはじまっています。
 御用材を伐りだすにあたり山の神に安全を祈る「山口祭」にはじまり、34にもおよぶ祭典、行事がつづきます。

 20年毎の遷宮は、社殿の清浄さを保ち神に新らしい力を与えること、また社殿の建築方法が古代から伝わる「掘立柱建物」(ほったてばしらたてもの)で地面に穴を掘り、礎石をもちいづ柱をたて地面を底床にした建物で耐用年数がかかわっているともいわれています。

 また、1300年も前のことですから「人生50年」とも云われ、技術や信仰を伝承するには20年が精一杯の年限だった、とも考えられます。

 各宮とも現在の社殿の横に同じ広さの敷地をもっています、(月読宮だけは現在の社殿の前)
e0104596_1316714.jpg

 
 社殿は樹齢200年以上のヒノキ材が使われ、1万本、1万立方㍍にもなり、木曾のヒノキが使われています。
 御神殿の棟柱につかわれるヒノキは樹齢500年直径80センチの太さで、すでに伐りだされています。取り壊された社殿の棟柱は宇治橋神社側の鳥居として利用され、たのヒノキ材は各地の神社で使用されています。

 伊勢神宮の敷地は5400haでそのほとんどが神宮林で伊勢市の3/ 1世田谷区と同じ面積です、これを管理する職員は神職170人を含め600人といわれています。
 年間400万人が参詣に訪れていますが、年々減少しているそうです、これも時代のすう勢でしょうか。

 正宮2社、別宮14社を建て替えるわけですから、莫大な費用がかかります、遷宮には古来、国家の重儀として国費が投じられてきましたが、昭和28年の59回遷宮以来政教分離が憲法で制定され、国の関与が禁止され、民間団体社団法人伊勢神宮崇教会が中心になって奉賀募金を募っています。

  皇室と伊勢神宮
 伊勢神宮は皇室の皇祖神である天照大神を祀る神社ですから、神事にかかわることは全て天皇が関与します。2013年の神を新しい神殿に遷御する日も天皇が決め、遷宮の最後の行事である御神楽も宮中の楽師が神宮に遣わされ、御神楽を奏でます。

 天皇、皇太子は海外に行かれるとき、また帰国すると勅使をたて幣帛(神に奉げる品)を奉納します。
今回のの遷宮にも幣帛を奉幣するでしょうが、一神社への奉幣はできない事になっていますが、宮内庁関連予算のなかに皇室費が計上されています。
  皇室費は
   宮廷費 (皇室 <天皇、天皇妃、皇太子、皇太子妃、愛子さん>に支給されるサラリーマ
         ンでいえば給与にあたり、支給された時点で公金ではなくなり自由に使えます)
   内宮費 (皇室が公務に関わるときの費用)
   皇族費 (宮家に支給される費用)
の3っにわかれており、おそらく過去の例からみて、神宮への幣帛は宮廷費から支出されるでしょう。
 皇室費は国費ですから疑問をかんじますが、こうせざるをえないのでしょうか。 
   




 


 


 
[PR]
by sinanoo | 2008-06-02 13:53 | 神社紀行