温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
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伊勢神宮 (3)  豊受大神宮 (外宮 げぐう)
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        祭神  豊受大御神 (とようけのおおかみ)
  豊受大御神は神話に登場するトヨウケヒメでウケは食物のこと、食物、穀物を司る神

 由納  雄略天皇22年(478)天皇の夢に天照大神が現れ「自分ひとりでは食事が安心してできない、丹波の国等由気大神(とようけのおおかみ)を近くによびよせるように」とのご神託があり、同年7月内宮に近い山田の土地に豊受大御神を迎え祀ったといわれています。
 ここも内宮と同じく御正殿は撮影禁止で、警備員が目を光らせていました。

     食事は毎日朝大御饌   8時~9時
             夕大御饌   3時~5時 
 の二回 外宮御饌においておこなわれる神事です。食事は天照大神、豊受大御神と、天手刀男神、万幡豊秋津姫命、相御伴神の3座に奉ります。

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     別宮  多賀宮(たがのみや)
          祭神 豊受大神の荒魂 (とようけおおかみのあらたま) 
 外宮創起と同時に創建されたと伝えられ外宮では、4別宮の最高位とされています。
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     別宮  土宮
          祭神 外宮所在地の地主の神で大土乃御祖神
 別宮は基本的には鳥居はもたず南向きですが、土宮は鳥居をもち、東向きです。
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     別宮  風宮
          祭神 風を司る神 級長津彦命、級長戸辺命
 本来は農耕に適したもたらす神でしたが、モンゴル帝国に日本が侵略にあい、1281年の元寇のとき神風をおこして日本を守ったとして、別宮に昇格しました。
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     別宮  倭姫宮 (やまとひめみや)
          祭神 倭姫命 (やまとひめのみこと)
 11代垂仁天皇の第4皇女 天照大神を祀る地を決めるため数国を経たのち現在地に伊勢神宮を創建したといわれています。
 1923年の創建で伊勢の地元の請願により、政府の認可を受けて創建されました。神宮の神社ののなかで創建年がはっきりしているのは、この倭姫宮だけです。

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      内宮から1、8キロ離れたところの鎮座する内宮の別宮です。
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 同じ清明造りの社殿4社並ぶさまは実に荘厳です。
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      別宮 月續宮(つきよみみや)
      祭神 月續尊(つきよみのみこと)
 4社のうち一番右側の社殿です、他の3社よりおおき目につくられています、月續尊は天照大神の弟神です。
      別宮 月續荒御魂宮  (つきよみあらたまみや)
      祭神 月續尊荒御魂  (つきよみのみことあらたま)
 月續尊の荒魂を祀る社殿です、月續宮の左側にあります。
      別宮 伊左奈岐宮  (いざなぎみや)
      祭神 伊添諾尊  (いざなぎのみこと)
 神話に登場する国土創造の神で 伊添冉尊 (いざなみのみこと)とともに国産、神産みにおいて日本国土を形づくる、多くの子をもうけました。
      別宮 伊左奈弥宮  (いざなみにみや)
      祭神  伊添冉尊 (いざなみのみこと)

 50代垣武天皇の804年に記された「大神宮儀式帳」によると4社は1囲のは端垣内に祀られていたが1843年より4社とも個別の端垣を持つ現在の形になったとつたえられています。
 

      

   
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by sinanoo | 2008-05-31 22:05 | 神社紀行
伊勢神宮 (2) 変遷、皇大神宮(内宮) (別宮)
     ○変遷
 天武天皇は神の制度が乱れたことから、思想の乱れ、政治の乱れが始まったと考え、天皇の権威を全国民的規模に高めるために、いままでよりはるかに強力な天皇の祖先神をつくり、それを全国民の崇拝の対象としなければならない、つまり神道の国家主義改革、すなわち天皇の祖先神を他民族の祀る神よりもはるかに上位におかなければならない、と考えました。

 海人部(アマベ)によって祀られた、1地方神社にすぎなかった伊勢神宮の位を上げ国家の神としたのです。そして伊勢神宮の建造がはじまったわけです。

 この天武天皇の宗教政策は、次の持統天皇に引き継がれ、20ねんごとの遷宮は持統天皇の時にはじまりました、
こうした伊勢神宮の国家の神社への昇格には持統6年(692)天皇の伊勢行幸が決定的な役割を果たしたといわれています。

 中世になって、朝廷の衰退にともない皇室の氏神から日本全体の鎮守として武士にも崇敬され、神仏習合の教説においても神道側の最高位の神とされました。

 戦乱の激化とともに、神宮領は侵略され経済的基盤をうしなった神宮は衰退し、遷宮の中止をよぎなくされました、
 江戸時代になって、お蔭参りが流行し、多くの民衆が短期間のあいだに神宮にお参りしました。

 明治政府により国家神道の頂点の神社と位置頭付けられました、
戦後は神社本庁より全国神社の本宗と位置づけられました。

    皇大神宮(内宮)  
         祭神    天照大神
         ご神体   八咫鏡(ヤタノカガミ) 
                三種の神器の1つ
 
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  大鳥居  宇治橋 鳥居の木材は檜 20年ごとにおこなわれる式年遷宮で解体された皇大神宮の棟持柱を使用いている、
  宇治橋  俗界と聖域との架け橋でこれも20年ごとに造営がおこなわれる。遷宮の4年前
 
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  橋を守るための流れ止め 
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  川底の玉砂利がキラキラと眩しいくらいです。
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        手水舎                    神楽堂
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   御正殿  生絹の御幌(みとばり)がかけられています、その先にご正殿があります。撮影禁止です。
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   御正殿の横からの写真です、左が御正殿です。
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         別宮  荒祭宮 (アラマツリノミヤ)
       天照大神の荒魂をまつる宮
 荒魂(あらたま) 和魂(にぎたま)とは神の霊魂がもつ2つの側面で、荒魂は神の荒々しい側面荒ぶる魂で、天地異変を起こしたり病をはやらせたり、人の心を荒廃させて争いに駆り立てる神の働きです。神の祟りは荒魂の表れです。

 和魂は雨や日光の恵みなど、神の優しく平和てきな側面であり神の加護は和魂の表れです。
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       別宮  大山衹神社  (オオヤマツジンジャ)
      神路山の守り神
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       別宮  子安神社  (コヤスジンジャ)
       祭神   木華開耶姫命 (コノハサクヤヒメノミコト)
      宇治館町の産土(ウブスナ)の社といわれ安産の神様
     コノハサクヤヒメノミコトはニニギのミコトの妻です。安産の神になっているとはおどろきました。 
    
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by sinanoo | 2008-05-29 18:58 | 神社紀行
伊勢神宮 (1) 縁起と祭り
 5月中旬おもいたって天皇家の神社、伊勢神宮を訪ねてきました。
台風4号の影響で雨、2日目は大荒れとの予報を聞き1日目に広い内宮、2日目に外宮(げぐう)と、別宮、きめられた参拝の順序を逆にまわってしまいました。

神様怒っているかな。
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                宇治橋
 伊勢神宮の正式名称は「神宮」で神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、神道の神社では別格とされ格付けはありません。

 建物は正宮
     皇大神宮   内宮  祭神 天照大神
     豊受大神宮 外宮  祭神  豊受大御神
 を中心に別宮(官号を宣下された社で正宮についで重んじられている)14社、摂社43、末社24、所管社34、別宮所管社8、計125社が伊勢、松坂、鳥羽の三市、渡会、多気、志摩の三郡にわたって、鎮座しています。

  伊勢神宮の縁起
 「日本書紀」「皇大神宮儀式帳」によると、神宮の祭神である天照大神は皇居に祀られていたが、10代の崇神(すいしん)天皇の時代に疫病がはやり、人々が不安におののいて暮らしていました。

 天皇はまつりごと「祭、政」に誤りがあるのではないか、と考え、占いの結果も考えて天照大神を祀る場所を皇女豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に命じ皇居外にうつしました。

 次の垂仁(すいにん)天皇のとき、皇女倭姫命が天照大神の鎮座する場所を求めて巡幸の旅にでます、
 「皇大神社儀式帳」によると、足跡は大和、伊賀、近江、美濃、伊勢と14ヶ所ににおよびます。

日本書紀によると、各地をまわったあと、伊勢の地で天照大神が倭姫命に伊勢の国は「うまし国」なので「この国にしよう」云ったと伝えられています。

 現在の地に祠をたて鎮座したのが紀元前5年、約2000年前のことです。

巡幸した地は元伊勢と呼ばれ、神社がたっていますが、これは史実ではないとするのが、一般的な解釈です。この地の多くはのちに伊勢神宮の荘園になっていることから、これらの地域は権威づけのために創作されたものと解釈されています。

   伊勢神宮の祭り 伊勢神宮式年遷宮広報本部公式ウエブサイドによると
 神宮の祭りの本義は、天皇が御親から皇祖天照大神をおまつりされるところであります。それは、神勅にもとずき第10代崇神(すいしん)天皇の御世までは皇居内で、また皇居をはなれた役2000年まえからは伊勢の地でどの時代も皇室の弥栄、国家の安泰、国民の平安、五穀豊穣を祈るお祭りがかわることなくおこなわれてきました。

 そのことは、かって斉内親王が天皇に代わって神宮にお仕えになりになり、現在では、祭主が天皇の御手代(みてしろ)としてお仕えになっておられることからも理解できるこよでしょう。
 このように神宮の祭りは常に歴代天皇のみ心を体して続けられているのです。

 すなわち神宮は天皇家の神社であるということです。

 神宮は古代から政治権力と結びつくことが多く、1930年~第二次世界大戦では、明治憲法で信仰の自由が規定されているにもかかわらず、「神道は宗教ではない」という解釈に立って国家神道は憲法の「信仰の自由」とは矛盾しない、強弁し、国家神道として、神社崇拝の強制度をつよめてゆきました。

 さらに官国弊社の造営に公金を投じ、国民に神宮大麻(おふだ、お守り)をなかば強制的に買わせ、
国家神道は戦争遂行の精神的支柱となってゆきました。

                         引用   HOMETOWN  HOMPAGE
                               wikipedia

                               伊勢神宮 ホームページ
このページは書きかけです
                           


 



  
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by sinanoo | 2008-05-28 21:50 | 神社紀行
浦河金毘羅神社 (総本山金刀比羅宮と祭神のこと)
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 金毘羅神社という名の神社は日本各地にあり、2600社をかぞえると云われています。

金刀比羅(ことひら)琴平(ことひら)と称するもの、「神社」ではなく「宮(ぐう)」と称するものもあります。


      金刀比羅宮のこと
 金毘羅神社は、香川県琴平町讃岐金刀比羅宮を総本山としています、祭神は金毘羅大権現大物主命です。
   歴史
琴平町 象頭山(ぞうずざん)には真言宗松尾寺があり、象頭山の神を祀っており古くから瀬戸内海の航行の目印とされてきたことから、象頭山の神は航行安全の神として信仰されてきました。

 中世に神仏習合が盛んになると、松尾神の守護社として仏教の薬師如来を守護する「薬師十二神」の筆頭仏「宮比羅大将」(ガンジス川にすむ鰐を神格化しグンピーラ神と呼ばれている)を金毘羅としました。
 松尾寺の金毘羅は航海安全の仏として、多くの信仰を集め、金毘羅大権現となり全国に勧進された。

 このため金毘羅大権現は仏教を守護する仏として、渡来したもので日本の神ではないとおもわれます。


 松尾寺は大権現、金毘羅神と称したため、明治元年の神仏分離の対象となりました。
日本古来の神ではなく、仏教の神と上申しても認められるわけがなく、金毘羅大権現の存続のために、金毘羅大権現と大物主命は同一である、と認め大物主命を祭神としました。

このとき寺を存続させるため、神話に登場した神を祭神にし、寺から神社への転換が多くあったと伝えられています。

 松尾寺でも、これにともない堂宇を改廃し、大権現の建物をすべて社殿にあらため、本地像として祀られていた本尊十一面観音像は信仰の対象からはずされましたが、社宝として観音堂に安置されています。
 廃仏毀釈により、図像、経巻、仏具は売却焼却されました。

 それにともない明治元年 松尾寺は琴平神社と改称、同年7月 金刀比羅宮に改称、明治4年 事刀比羅宮に改称、明治16年再び金刀比羅宮と名称を変更。

 松尾寺は石段のはじまったところから、南へ300メートルぐらい離れたところで、真言宗の寺として法灯を伝えています。

 歴史を振り返ると、日本の神ではない金毘羅大権現が神社とされる謂れはない、と考える人達も多くいます。

 しかし反面、これだけ金毘羅信仰が広がり多くの人々に支持されているわけで、信仰のなにたるかは、個人個人の心のなかにあるのかもしれません。

 
 



 
   
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by sinanoo | 2008-05-27 20:12 | 浦河の神社
初夏の山菜
山にはいると道端や山道の入り口に、山菜採りの車がめにつきます。
私も山菜をさがしに山に入ってきました。今年は季節のすすみが早いせいもあって、成育しすぎでした。
 でも新緑の時期、緑の空気を吸うのも最高ですね、山菜は急な斜面、足場の悪い小川の淵、
気おつけないと滑り落ちたり、川におちたりでさんざんなめにあいますが、これも山菜採りにはつきものです。
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     ウド (ウコギ科)
 酢味噌あえが定番、若芽はてんぷらにも。

栄養価は高くないが疲労回復によいとされる、アスパラギン、肝臓に脂肪がたまるのを防ぐコリンが含まれている。

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     コゴミ オシダ科 クサトセツの若芽
 ゼンマイに似ているが綿毛がなく、濃い緑色の葉柄と薄緑の葉が特徴的
あくがないので、食べやすい、おすすめ。

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     セリ 〔芹)
 春の七草のひとつ、 野趣味おびた香りで人気が高い、おしたし、てんぷらにあう。毒セリもあるので注意が必要。

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     タラノキ (通称タランボの芽) ウコギ科
 山菜といえばタランボの芽をおもいうかべるほど、人気が高い山菜、ことにてんぷらには最高の山菜。
 あくがつよく、枝や茎にトゲが寄生しており、採るのに苦労する。
トゲがすくない木のものが、アクが少なく美味しいとされている、2番芽を採ってしまうと木が枯れてしまうので注意が必要。

 山菜の王様といわれる、ワラビは5月下旬頃からでしょうか。
  

 
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by sinanoo | 2008-05-17 19:10 | 花 木 自然
浦河 桜祭り
 41回をむかえる浦河さくら祭り、この数年雨にたたられましたが、今年は9日の朝、雨もあがりほっとしましたが、今度は寒波、寒さに身をちじめながらのさくら祭りでした。

 さくら並木のさくらは、ほとんど散っていましたが、会場内のエゾヤマザクラは満開で、はなびらの舞う下で、アトラクションを楽しむ町民でにぎわっていました。
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 今年で解散するという浦河よさこい若駒会の乱舞
 
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 会場には露天が並び、かに鍋の無料サービス、野立て、ゲームなどが催されていました。
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 さくらの下でくつろぐ家族
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by sinanoo | 2008-05-11 20:41 | うらかわ いろいろ
浦河 JRAのさくら
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 今年のさくら前線ははやい、JRAに通じるさくら並木も満開。との報道をきいてこの4日の夜桜と5日の夕方さくら見物にでかけました。

 人出はまばらでしたが、すでに満開、
帯広からの見物客が、「まるでさくらのトンネルだね、静内のさくらはもう散っていたし、人で一杯、ここはゆっくりさくらがみれるし、それにきれい」とおほめの言葉をいただきました。
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 今年のさくらはいろあざやかですね。
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 毎年この一本のさくらだけ鮮やかなピンクの花をさかせます。
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 さくら並木のそばに広がる牧草地では、タンポポの花が真っ盛りです。
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 毎年一番先に花をつける古木です、もう地面一杯に花をおとしていました。
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 夜桜の撮影に挑戦してみましたが、無惨にもご覧のとうりです、口の悪い友人からは、しょせん素人なんだからと一言。
 一人やさしい友人から、夜桜はむずかしいよ、ばかちょんカメラの夜景モードのほうがきれいに撮れますよ、と慰められたのか忠告されたのか?
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by sinanoo | 2008-05-09 16:16 | うらかわ いろいろ
浦河の神社(2) 浦河金比羅神社
 浦河町大通2丁目旧NTTと 商工会議所の道を山側に上ると、小高い丘の上に雑木に囲まれて、浦河金比羅神社が鎮座しています。
 NTTビルのまうらににあたるため、国道からはみることができません。
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            御祭神   金毘羅大権現
                      大物主命
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            所在地   浦河町大通り2丁目
 由緒
大正末期四国の琴平神社より御札を受け、井寒台の村岸徳次郎氏の住宅地を借り奉祭しました。奉祭した年月日、御札を受けた人は不詳です。

 その後浦河の漁業者、奥田、船越谷、小西3氏のはからいにより、村岸徳次郎氏が経営していた大通り2丁目の村岸酒造店(後に香蘭酒造に吸収される)の敷地内に移転建立されたものとおもわれます。

 当時浦河港ではマグロが獲れだし、たら、さめ、にしんも増加、沖合漁業の魚種が増え新しい魚業の時代がきており、それが背景になって、海上安全、豊漁祈願のため建立にいたったものと考えられます。
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 建立の年月日は不詳ですが、ご神体とともに、祭壇におさめられている鏡のうらには、大正8年との記載があり、これによってもこの前後の建立と考えられます。
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 創治当時は海上安全、豊漁祈願の参詣者がおおく訪れていたが漁業全般の衰退もあって、その数が激減しました。

 34年、49年、55年、67年と修理改修をおこない、世話役としてこれにあたって来た浜町の阿部金蔵、山岸平治氏が亡くなったあと、神社の維持が困難になり、登別の金比羅神社に
合祀を依頼したが「ご神体があり、これからも浦河金比羅神社で祀るべき」と諭され、平成14年に改修を行い以後例祭をおこなっています。

 毎年夏になるとイカ漁の外来船があつまります、金比羅神社があると聞いて参拝に訪れる魚業者もおおく、金毘羅信仰はねずよいものがあります。

 社内には金刀比羅神社からの書があります。

        祭神     大物主命
             うなばらをてらしよりくる神
          この神社は金毘羅大権現とよばれ、
          海の神様として信仰されてきました。
          金毘羅とはサンスクリスト語でクンピーラといい、
          ガンジス川に住んでいたワニ」を神にした言葉です。

          また神話に海神は龍神とされています。
                         ことひら  金刀比羅神社

 このページは書きかけです、金刀比羅神社、祭神大物主命についてかきます。 
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by sinanoo | 2008-05-07 20:14 | 浦河の神社
素敵なお店 (3) 大樹町 そばや一秀
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 大樹町の住宅地、大樹中学校のそばにある「そばや一秀」 趣味が高じ住宅を改装して、平成17年に開店した小さなお店です。

 途中店までの案内板も店先にのぼりもなく、さがすのに大変、でもそば通なら探してでも、何度もかよう店です。
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 店内に入ると薪ストーブで暖をとっており、中央に大きなテーブル、窓ごしに公園がみわたせるカウンターがあり、10席ぐらいでしょうか。

 そばは大樹町内の農家で栽培され、店主自ら刈りとり乾燥させ、町内の製粉工場で製粉した、そば粉10割つなぎなしのそば、今は2・8そばがほとんどです、そば粉10割のそばは珍しく、信州の農家育ちで畑で栽培したそばをそのつど石臼でひき、そばを打って食べていた私にとって、久しぶり(信州弁でははーるかぶり)に味わうそばで、のどごしのよさ、歯につくようなかみ心地に堪能しました。
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           おまかせ温かけそば  800円

 メニユーは水をかけただけの冷純粉10割そば(10食限定)ざる、冷かけ、温かけの6品だけでまさにそばを売るそばやです。
 そばを食べるまえにそばだんご、そばと一緒にやまわさびにねぎ小皿には山菜がならびます。 おまかせ温かけにも山菜が盛り付けられています。

 そばは冷たいそばと、暖かいそばは別々にゆで、一度にゆでるのは2食まで、ここまでこだわるとは。

 店内にながれる音楽はクラシック、それもベートウベン「運命」を聴きながら食べるそばもまた格別、そばにはクラシックがにあいますね。

          そばの一秀
          十勝 大樹町錦町1-26
          定休日  毎週月曜日
          営業時間 11時半~14時30分

 
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by sinanoo | 2008-05-05 13:20 | 素敵なお店
鱗別稲荷神社 (1) 稲荷神のこと
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日本の稲荷神社は3万2千社あり神社総数8万社の3分の1にあたる、

屋敷神として企業ビルの屋上、事業所、旧家の敷地に祀られているものまでいれると、無数といっていいほどの数」になる。

 稲荷神は稲の神であることから食物神である、他の食物神を習合して、中世以降工業商業が盛んになると稲荷神は工業神、商業神、屋敷神など万能神とされるようになり、農業だけではなく町家や武家にも祀られるようになり、現在では産業全般の神として信仰されている。

 稲荷神社の起源については諸説があるが、雄略天皇の時代に多くの渡来人があり、とりわけ秦氏族は絹織物の技にすぐれており、律令国家建設をめざす朝廷に厚遇され、畿内の豪族となり、711年稲荷山三ヶ峰に稲荷神社を奉鎮し、山城盆地を中心にして御神威赫たる大神になった。

 都が平安京に遷都されると、元々この地を基盤にしていた秦氏が力をもち、稲荷神が広く信仰されるようになった。

 京都府伏見区の稲荷山のふもとにある総本社伏見稲荷は、もとは京都一帯の豪族秦氏の氏神である。

 東寺(空海ゆかりの寺)が建造されるさい、秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神になった「二十二社本禄」によると空海が稲荷神社に直接交渉して守護神として祀ったと書かれている。

 東寺では真言密教における茶柷尼天(だきにてん)(インドの女神ダーキニー)を稲荷神に習合させ、真言宗が全国に布教されるさい、茶柷尼天の概念おも含んだ状態での稲荷信仰が全国に広まったといわれている。

 明治の神仏分離のさい、おおくの稲荷神社はウカノミタマノミコトなど神話に登場する神を祀る神社なったが、一部には茶柷尼天を本尊とする寺になった。

 伏見大社に伝わる稲荷起源
秦氏の祖先伊呂具秦公(イログノハタノキミ)は富裕におごって餅を的にした、すると餅が白い鳥に化して山頂に飛びさった、まいおりたところに稲が生えたので「伊奈利の生(ひき)」それが神名となった。
 伊呂具秦公はその稲のもとに行き、過去の過ちを悔いてその稲を根ごと抜いて、屋敷に祭ったという、稲生り、が転じて(イナリ)となり稲荷があてられた。

            参照 wikipedia 伏見大社 HP
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by sinanoo | 2008-05-03 17:34 | 浦河の神社