温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
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小樽への旅 (2)
湯宿 ふる川の朝
6時半から始まる休処でのレコードコンサート、コーヒーを飲みながらモーツアルトの「クラリネット協奏曲」を聴き小樽の朝のすがすがしさにふれました。
このコンサート毎朝催しており、曲目は前日の夕方にエレベーター内に掲示するそうです。

朝食は和食中心のバイキング、バラエテーにとんだメニューです。
宿で自転車を借りて目的のひとつ、JR小樽駅近くの龍宮神社へ、坂の多い小樽、自転車を押しながらやっと到着です。

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    龍宮神社
箱館戦争で政府軍に敗退し五稜郭を明け渡した榎本武揚は後に北海道開拓使に出仕しました。
1869(明治2年)榎本武揚はアイヌ民族が祭場としていた国有地の払い下げを受け、祠を設けて榎本家の遠祖である桓武天皇を奉祀しました。
1886(明治19年)江差町にあった海の神として信仰の厚かった神道系の龍宮教会分所を移転し祠に合祀して龍宮殿と称しました。
1898(明治31年)龍宮神社と改称しました。
1918(大正7年)小樽伏見神社を合祀しました。
     祭神  底津和田都美神 (ソコツワダツミノカミ)
          中津和田都美神 (ナカツワダツミノカミ)
          上津和田都美神 (ウワツワダツミノカミ)
          豊受姫命 (トヨウケヒメノミコト)
          大物主神 (オオモノヌシノカミ)
          大昆古命 (オオビコノミコト)
          桓武天皇 (カンムテンノウ)

     社殿様式  神明造
     社殿面積  50坪
     旧社格   郷社 

龍宮神社から坂道を下って一直線、手宮にある小樽市総合博物館の旧小樽交通記念館

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旧手宮駅構内に残された鉄道施設で、1880(明治13年)北海道で最初に開通した幌内鉄道の基点にあたり、蒸気機関が主流だった時代に鉄道システムが残されています。

扇形の機関車庫、ラッセル式の除雪車、アメリカ製の蒸気機関車「アイアンホース号」、歴代の蒸気機関車、
客車、貨車などが展示されています。
私が見たかったのは日銀が現金の輸送に使った、貨車で興味しんしんでしたが、休館日でした。

こういった公共施設はどこえいっても月曜日が休館日でここは火曜日。思い込みがうかつでした。
またの機会にと。

足をのばして、祝津の高台にある にしん御殿(旧青山邸)へ、自転車を押しながら3つのトンネルをくぐって30分かかってやっとの思いでつきました。

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大正時代に鰊で財をなした青山家の二代目政吉と娘の三代目正惠が17歳のときに酒田の大地主本間家に招かれてその邸宅の豪華さに魅せられていました。
父政吉が別邸の建築にとりかかった時、正惠は「あの本間邸以上のものをこの祝津に建てよう」と心にきめました。

材木は酒田から欅を大量に運ばせ、積雪の多い北海道では珍しい瓦葺きの屋根、欄間から引き戸まで酒田から呼び寄せた宮大工手により6年の歳月をかけて完成させました。e0104596_20413490.jpg

狩野派の流れを汲む日本画の絵師達が競って描いたふすま絵や書が数多くのこされています。

にしん御殿の建築費は三十一万円で当時新宿の有名デパートの建築費が五十万と言いますからこの別邸の豪華さがうかがわれます。





にしん大尽の威信と17歳の少女の夢が北海道屈指の美術豪邸を残したのです。
( にしん御殿HPより抜粋 )
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邸内は公開されており私も見てきました。
軒下はすべて手彫りの彫刻が施され、床や柱は欅の春慶塗り、漆くい壁、神代杉の幅広天井、端から端まで継ぎ目の無い一本物の長押、紫檀黒檀白檀を使った書院造りの床の間、ふすまの引き手は七宝焼きとその豪華さには目をみはります。


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庭園は牡丹、芍薬で埋めつくされています。百合もみえます。
前回来たときには開花前で、今回は天候不順で牡丹が咲き始めで芍薬はまだ蕾でした。
牡丹と芍薬が花を競う満開には出会えませんでした。

そこでせめてもと「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」に合う女人を探したのですが見つかりませんでした。皆さん洋装ですから。

帰りは急坂道をころがるように駆け下りて小樽市内へ。
運河沿い並ぶ店に多くの観光客にまじってお土産の品定め、そして帰路に。
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by sinanoo | 2010-07-16 17:39 |
小樽への旅 (1)
6月はじめ数年ぶりに運河のある街、小樽と周辺の街を訪ね歩きました。

小樽を基点に積丹まで、久しぶりに日本海のどこまでも碧荒涼とした海を眺めてきました。

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海の幸を目玉とする観光地であわびも知られていますが、いまはウニ丼一色で飲食店の店頭にはウニ丼ののぼりが立ち並びウニ市場の様相です。

雰囲気にのまれて積丹のウニ丼を食してきました、
小さめのばふんウニが100グラムをこすぐらいはいって、それにムキえびの小鉢がついて3500円、いい値段ですが観光地価格でしょうね。

味は浦河の日高コンブで育ったウニに軍配を上げます。

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町の中央部に鎮座する積丹神社。1860年(万延元年)に創建された150年の歴史をもつ神社で詳しい由緒は不詳です。
祭神は豊受姫神(トヨウケヒメノカミ)、市岐島姫神(イチキシマヒメノカミ)平屋造15坪の社殿です。
積丹町には6社の神社がありますがすべて兼務神社(神官がいない神社)です。

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ここまで来たからには、と神威岬に足をのばしました。
遊歩道をあるいて岬の突端までゆけます。 海から突き出した高さ40メートルのカムイ岩とその向こうに広がる丸みをおびた水平線は地の果てを思わす荒涼とした風景を作り出しています。

この岬は古くは女人禁制でした。
でもこの遊歩道は長い、往復1時間はかかります。

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小樽えの帰路、ニッカウイスキー余市蒸留所に立ち寄り創業者竹鶴さんに思いをはせてきました。
2004年に北海道遺産に登録されたこの施設は整備された広い敷地のなかに製造工程がめぐれる施設やウイスキー博物館、製樽棟、貯蔵庫、ニッカ会館などが点在しています。

近年ウイスキーの消費がおちているそうです、そういえば私も近頃は飲まなくなっています。試飲しながら又ウイスキーに戻ろうかと。

宿泊は運河沿いに今年オープンした市内では唯一の温泉のある「湯宿 ふる川」楽しみにしていた宿です。e0104596_19241719.jpg

レトロな木にこだわったやすらぎ感のある宿です。e0104596_19281162.jpge0104596_19283912.jpg
まるで縁側にいるような気取りののない帳場、昔の宿場のおもむきです。
帳場ではさすがソロバンは使っていないようでしたが、レジなどデジタルものは客から見えないところに置いてあるようで、雰囲気を壊さない気遣いがうれしいですね。

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帳場前の客だまり、壁面一杯にレトロなガラス細工の装飾品が展示されています。

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近頃目にすることのない台はかりをみつけました、
昔の度量衡で何貫目あるかと体重を量ったのですが、残念、分銅はキログラムでした。


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食事処 メニューは地元の海山の旬の食材が主体で和風とフレンチ風な料理で充分堪能できました。
接客もいまはやりのマニアルどうりではなく客えの気遣いと暖かさ、くつろげる宿でした。

スペースは小さいのですが客がくつろげる休処が併設されており、書棚にはいろいろなジャンルの図書が置かれソファーに身を沈めながらゆったりと読書することもできます。
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by sinanoo | 2010-07-12 17:48 |
花のじゅうたん 東藻琴芝桜公園
5月中旬国内最大規模のシバザクラの名所、東藻琴芝桜公園をおとずれてシバザクラの広がる10㌶(3万坪)のピンク、白、赤のシバザクラが咲き乱れるすり鉢状の斜面をあるいてきました。
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この芝桜公園が現在のかたちを整えたのが30年前でその後植生区域を増やし今年2㌶を加えて10㌶の広さになりました。
標高150㍍の丘のうえまでつづくチップをひき詰めた急勾配の散策路を上ると、福島県からの移住者が故郷の神社から勧請したという大山津見神を祀った神社があり、散策路に建つ鳥居がこの地の歴史をものがたっています。

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オホーツクブルーの青空と山頂に雪をかぶった藻琴山、木々の緑がシバザクラとのコントラストが絶妙です。
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シバザクラの原種は赤、白、ピンクですが、自然交配によりいまでは12種類まで増えて斜面に花のコントラストを描き出しています。
シバザクラはほんのりとした甘い香りをふりまきます、散策路をあるくと香りに包まれます
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東斜面の丘のうえまでゆらゆらとつづく勾配を観覧車が行き来し車窓からシバザクラが鑑賞でき、会場わきのヘリポートからは小型のヘリコプター発着し空からの散策も楽しめます。
会場内でミニSLをみつけました。運転手さんも乗って、子供達に大人気です。

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シバザクラのみごろは5月上旬から6月上旬までの1ヶ月で毎年10万人をこす入園者があるそうです。
近年は海外からの入園者もふえて、案内所には中国語、朝鮮語の表示も目に付きました。

シバザクラの植生地域では環境負荷に考慮して除草剤、殺虫剤は使わずに花の手入れをしているそうで、会場のあちこちで草むしりをしている姿がみうけられました。

このシバザクラの観光地は、わが町のように莫大な費用をかけて、どんと箱物をたてて観光客を呼び込もうとするのではなく、町の人達の情熱と地道な努力に支えられているといっていいでしょう。e0104596_19335734.jpg
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by sinanoo | 2009-05-23 17:32 |
伊予 讃岐の旅日記 (3) 琴平町
朝食は個室の食事処、久しぶりにゆったりとした朝食に満足。
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朝風呂にはいり、売店でお土産えらび、やはり讃岐うどん、いろいろあるので迷ったすえに店員さんのすすめるままに決めて松山の銘菓タルトも買い、宅急便でおくりました。

金刀比羅宮めざして10時ホテル出発、参道の入口にはうどんやさんが軒をつらねていました、やはり讃岐名物なんでしょうね。

e0104596_1548974.jpg参道にあるお店から杖をかりて、奥宮までの1368段に挑戦です。
オフシーズンのせいか参拝客もまばらでした。

それにしても寒い、浦河と変わらないねといいながら、登り始めました。

e0104596_1643220.jpg名物の参拝者をのせて石段をかけあがるかごやさん、屈強なおじさんがたです。
 本宮まで785段
  上り 5300円 下り 3200円 往復 6800円
友人が「体重制限あるのかなー」 あるかもしれませんね、100以上は5割り増しとか。

e0104596_1616490.jpg参道の途中にある「こんぴら狗」の像
江戸時代に犬が首に初穂料と食事代をいれた袋をかけて、こんぴら講に同行してご主人の代参をしたという犬で忠義、人情の代名詞になっています。

この犬アニメっぽい、お賽銭箱もあり、「狗おみくじ」もありました。なんででしょうかね。

大門をくぐると左右に並んでいた店がなくなり、前が開けて本宮かとおもったのですが、まだまだで境内社がならんでいます。

e0104596_16343480.jpgやっと本宮。
主祭神は金毘羅大権現(大物主命)です。
明治以前は象頭山松尾寺という古くからの寺院でしたが、明治2年政府の神仏分離令で廃仏稀釈(ハイブツキシャク)がおこり、金毘羅大権現は日本の神ではないとされ、廃寺の岐路にたたされたため、金毘羅大権現は神話に登場する大物主命であるとして、寺院から神社にかえて存続をはかったという歴史があります。

e0104596_16484325.jpg本宮の広場から望む琴平の町、讃岐富士がみえ、左に丸亀城がかすんでみえます。

観光ツアーの参加者はほとんどがここで終わりだそうですが、せっかくきたのだから奥宮まで上がることにし、あと583段、本宮までの直線で上がる石段ではなくゆらゆら勾配のついた石段です。

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 金色にかがやく「黄色い」お守り
なんだかイメージキャラクターのようです。
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     今治造船所から奉納された船舶の巨大な真鍮製のスクリュー

ひと息いれて奥宮まで、さすがに奥宮までの参拝者はまばらで途中でたびたび息切れ、友人に気合を入れられながらやっとたどりつきました。

e0104596_1733122.jpge0104596_17341614.jpg 奥宮までつずく参道に菅原道真神社が満開の梅ノ木にかこまれて鎮座していました。

本宮で知人のお孫さんがH大を受験するというので合格祈願を願って授けていただいた「学業成就」のお守りを菅原神社の神前に供え、お賽銭をながいれて祈願してきました。
 そういえば今日が受験の日でした。

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 奥宮
厳魂神社  祭神は松尾寺の別当職だった金剛坊宥盛で明治38年に神として祀られたもので、金刀比羅宮のなかであたらしい神社です。


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金丸座
参道をすこしあがった左の小高い丘のうえににあります。
天保6年(1835)芝居小屋とし設立され、映画館などに転用されその後荒れるにまかせていましたが、昭和30年ごろから復元運動がはじまり、同46年重文指定を受けて同51年天保の姿で、現在地に移築しました。

毎年4月に金毘羅歌舞伎がおこなわれており、今年は4月5日から25日まで中村勘三郎、中村扇雀などにより、「俊寛」「西口村」など4つの演題が演じられます。
奥宮の参拝をおえて下山、帰りはやはり楽でしたね。
 往復 2時間半  万歩計によると15400歩やはりしんどかったですね。

参道の入口の中村うどん学校で昼食、トッピング方式のうどんでした、
四国に来てうどん4食目、そろそろそばが恋しくなりました。

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 なんだか分かりますか
キテーちゃんのご当地限定ストラップだそうです。

友人が空港、スーパー,お土産や、ホテルの売店あげくは金毘羅宮の参道の売店で買い集めていました。
親しい知人とそのお母さんから頼まれたとかで、そのところにしか置いてないご当地限定品だそうです。

金丸座で演じられた演題の助六、鷺娘のストラップもあり、いま収集が流行っているようです。
しかられそうですが、なんだかかわいいですね。

琴平から高松市をかすめて高松空港へ、ここでまたうどん、今度の旅はうどんを食う旅でもありました。

羽田経由で午後9時半千歳着。寒い 四国なんてもんじゃない  あらためて北海道の寒さを痛感しました。

高松ー羽田ー千歳と機材もクルーも一緒でめずらしいことです。
クルーから「千歳までごいしょさせてもらいます」と挨拶されて心がなごみました。
ちよっとした心ずかいが、旅ではうれしいですね。

昨日降ったという雪におどろきながら、11時半に無事帰着。
車の運転に終始した友人に感謝です。
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by sinanoo | 2009-02-25 20:34 |
伊予 讃岐の旅日記 (2) 伊予西条
はやめに朝食をすませて、ふたたび しまなみ海道 をはしり40分かけて大山祇神社へ、昨日は気がつかなかったのですが、道の駅やお土産やさんが並んでいます、メインはやはりミカン、いろんな種類があるんですね。
四国は暖かいとおもっていたのですが、寒い、素手でいるとしびれるぐらいです、鼻水はでるわで風邪薬を飲みながらの旅になりました。

営業時間は大山祇神社の神門がしまる、午後5時まででしたでした、納得。

オフシーズンのせいか、参拝者もまばらでしたが、豊作、豊穣をいのる祈年祭がとりおこなわれていました。

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神門 今日は開いていました。

e0104596_19131865.jpg拝殿
山の神、海の神、戦いの神として朝廷や武家から崇められてきました。

賽銭箱には硬貨を投げ入れるのが作法だといいます、その音で神様に参拝にきたことを告げるのだそうですが神社としては、軽いお札のほうを歓迎しているとか。

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宝物館
源氏、平家をはじめおおくの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため国宝や重要文化財の指定をうけた、甲冑の4割がこの神社におさめられており、国宝、重要文化財の宝庫です。


 1人角力(1人ずもう)
春と秋の2回豊作祈願、収穫に感謝する祭りに奉納角力がおこなはれています。
目にはみえない神様をあいてに土俵の上で力士が1人三番勝負、1勝1敗でむかえた3番目は熱の入った大一番、神様が力士を豪快に投げ飛ばして神様の勝ち。

昭和59年(1984)以来とぎれていた神事でしたが、平成6年大三島中学校の生徒により伝承文化として受け継がれています。

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友人のお子さんにお守りを授けていただきましたが、大山祇神社は海、山、戦いの神です。
学業成就の願いがかないますかどうか。

でもご利益ありますように。


念願だった大山祇神社の参拝をおえて、しまなみ海道にのり今日の宿泊地琴平温泉へ、途中伊予西条市にある伊曾乃神社をおとずれました。

西条市のみなみ石鎚山系から流れる加茂川の湾曲している場所に鎮座しています。

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神門
創祀は社伝によると成務天皇28年(158)、祭神は伊曾乃神(天照大神、武国凝別命タケクニコリワケノミコト)で旧国幣中社で、別表神社です。
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐により社殿、社宝が兵火により焼失し難をさけるために土佐国に遷座し慶長15年(1940)復座しました。
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拝殿
拝殿の後方に神明造りの神殿があります。

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境内社のひとつ天満神社
菅原道真を祀った神社です。
(こちふかば においおこせよ うめのはな・・・・) に詠まれた梅の樹にかこまれています。
梅は満開でした。

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 参拝をすませて琴平へ、今回の旅は高速道路をつかわず、街並をみながら走ることにしていましたが、国道の道幅が狭いのにはびっくりしました。大型車とすれちがうときは、ひやひやものでした。

讃岐にはいったところで遅い昼飯、もちろんうどんやさんです。
e0104596_22161745.jpgわたしはぶっかけうどん、友人は2玉はいったてんぷらうどんと親子丼のセット、こしがあってうまかったですね。
食べるのが趣味の友人も満足そうでした。

4時琴平温泉到着、温泉が目的のの友人の希望で金毘羅宮参りは明日にして、風呂がいいという琴参閣ホテルにはいり、風呂ざんまいの一夜でした。
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by sinanoo | 2009-02-23 22:04 |
伊予 讃岐の旅日記 (1) 今治
 2/16~18 はじめての四国への旅にでかけてきました。
若い友人との2人旅、私は念願の神社めぐり、友人は温泉とうまいものの食べ歩き、目的がちがう2人の珍道中でした。
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日程がきついので千歳空港のホテルに前泊して羽田空港経由で松山空港に13時15分着、レンタカーで瀬戸内海にうかぶ大三島、大山衹神社(オオヤマツミジンジャ)へ

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やはり四国八十八ケ所霊場めぐりの入り口、空港内にご遍路さんおもてなしコーナーがありお題目がながれていました。

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しまなみ街道をはしって展望台からみる瀬戸内海の島並と潮流は、自然がおりなす美の最高峰はひとの手ではとどかない領域です。
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瀬戸内海に点在する島々をつなぐ本四架橋はその造形美にみとれました。

あまりの美しい風景にみとれていたために、目的の大山衹神社についたのが5時、大鳥居をくぐって社殿にゆくと、神門が閉まっていました。

参拝は5時までだったのです、
神社に閉社?時間があるとはおもいもよらなかったので、愕然としました。

かんがえてみれば神職さんがただって、勤務時間があるわけで、それに神社えの参拝は昼ですね。
夕方から夜に参拝する人は、人に見られたら願いがかなわないという、お百度参りか、呪いをかける丑の刻参りぐらいのものですからね。

意気消沈してせめてもと境内社をまわってきました。

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閉まっていた社殿に通じる神門

大山衹神社は神話に登場する大山積神(オオヤマツミノカミ)を祭神としています。くに産(うみ)をしたイザナギ、イザナミ子神で、天孫降臨のときアマテラスオオカミの孫のニニギノミコトの妻となったコノハサクヤヒメの父としてしられています。


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境内にある樹齢2600年といわれるクスノキ、根まわり20㍍ 高さ16㍍ オオヤマツミノカミの子オチノカミが植えたといわれ、国の天然記念物に指定されています。


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未練をのこして宿泊地今治へ、今治を支える今治造船の会長がオーナーの今治国際ホテル、大浴場が温泉ということで温泉好きの友人が選んだシティーホテルで吹き抜けをもつ広いロビーとゆったりとした空間を持つ部屋に満足しました。

ホテルから渡されたマップを片手に、町中に食事にでかけました。焼き鳥やの多い町でしたね、和風居酒屋にも入ったのですが、はずれ はじめての町での飲食店さがしは難しいですね。
友人は、コンビニでおにぎりを買う始末でした。

時間に遅れた大山衹神社、落胆しているわたしをみて同情したのか、明日行ってくれることになりました。
感謝 感謝です。

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                 しまなみ街道でみつけた花々
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by sinanoo | 2009-02-21 16:56 |
伊勢、鳥羽えの旅
 久しぶりの旅は伊勢、鳥羽でした。

 台風4号の余波を気にしながら、千歳空港から1番機でセントレア空港え、

5年まえ愛知万博を観に来て以来のセントレア空港です、この空港は千歳や羽田空港のように増築をかさね、横に長く、移動に大変な空港とは違い海を埋め立てた正方形にちかい建物で、広くゆったりとした空間をもつ近代的な空港です。
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 中央のエスカレーターの左右に100店舗以上の地元や東西の有名店」がショッピング街を形成しています。
 ヨーロッパ調の開放的な街並のレンガ通り、照明をおとした古い町並のちょうちん横丁があり、テーマパークのような賑わいです。
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 4階に空港でははじめてという展望風呂があり、万博の時珍しさもあって入ってみました、展望というからには飛行機の発着が浴室からみられると思っていましたら、塀で目隠しされていました、係りに聞いたら「浴室からみえると云うことは、向こうからもみえると云うことことなので」だったらただの銭湯、展望風呂なんて云わなければいいのに。
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 空港のそばから高速船で松阪港え、バスに乗り換え松阪に工場をおく、セントラル硝子、愛知機械の巨大な工場群のあいだをぬけ20分で松阪駅え、レンタカーで伊勢神宮到着が13時、5時間の旅でした。
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 俗界と聖地を遮るという宇治橋を渡り手洗舎で身を清め、天照大神の祀られている御正殿に参拝し、広い神宮林を歩いて別宮をまわっててきました。
 みどり濃い木々かさなる林の中にへんぽんとひるがえる日の丸、さすが天皇家の神社だな、とかんじました。

 ごみひとつ落ちていない参道、みどりあふれる清らかな気持ちに満ちる聖地です。

 内宮のそばにある「おかげ横丁」
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 古くから伊勢参拝の旅人で賑わったおはらい町、その中ほどに「おかげ横丁」があります。平成5年に内宮の門前町で300年商いを続けている「赤福」が、長い商いはお伊勢さんの「おかげ」江戸時代に流行した「お蔭参り」の「おかげ」からが命名の由来とか。
 
江戸末期から明治にかけての建物を移設したもので、レトロな町並に飲食、物販に資料館あわせて43軒が軒を連ねています。神宮の参詣者のほとんどが、立ち寄り飲食、おみやげを買い求めていくそうで、やはり 「おかげ」ですね。
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 賞味期限の偽装で有名になった「赤福」の内宮前店です、おかげ横丁の真ん中に本店と分店ががあり3店で赤福を販売しています。
 つみ上がられた赤福が飛ぶように売れています、やはり伊勢の土産は赤福なんですね。
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    「おかげ座」   江戸時代のおかげ参りが体験できます。   

    
 雨が激しくなり早々にこの日の宿、志摩グランドホテルえ
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         ホテルの夕食です

 2日目は雨も上がり、内宮の宮域外別宮、月読宮、倭宮をまわって、外宮え
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 外宮は食の神豊受御大神を祀った神社です、内宮にくらべ参詣者はすくなく、ゆっくり参詣できました。

松阪では松阪牛の焼肉を、値段におじけずいて断念、来たコース逆にたどって帰路ににつきました。
 お土産には「赤福」をとおもっていたのですが、伊勢で買うと荷物になるので空港の売店でと考えていたのですが、すでに売り切れ、しかたなく赤福ににた「お福餅」でご勘弁を。

 帰りの飛行機は大揺れ、でも目的地千歳に遅れたものの無事着陸、浦河にたどりついたのが0時10分でした。

 疲れましたたが、充実した楽しい旅でした。





 
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by sinanoo | 2008-06-03 20:28 |
安芸の宮島  厳島神社 山陽路 (5) 
 日本三景のひとつ、世界遺産に登録されている、神霊の宿る島」として古くから信仰を集めている宮島を訪ねてきました、
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宮島のシンボル大鳥居、観光誌などでは満潮時に、紺碧の海に浮かんだ姿が紹介されていますが、丁度干潮時、砂浜に立つ大鳥居は雄大ですが、なにかきはずかしそうでした、

砂浜をあるいて、鳥居の下にたつと、総高さ16m.主柱の高さ10.9m.主柱の周り9.3m.梁の長さ24.2m.と巨大です、鳥居本体の重量で立っているそうで、その雄大さに圧倒されます、
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厳島神社も満潮時には裾が海水に浸り、すべてが海の上に浮かんでみえる,奇想天外な「海に浮かぶ神社」です、
社殿、拝殿を含め20余の建物が並び、東西195m.の回廊でつながれ、あざやかな朱塗り、檜皮葺きの優雅な屋根、清楚に配置された柱など平安時代に、その極に達した神殿造りは、息をのむような感動をうけました、

祭神は、宗像三女神の市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)・田心姫命(タゴロヒメノミコト)湍津姫命(タギツヒメノミコト)で海の守護神です、
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島のいたるところに神社仏閣があり、豊臣秀吉を祭った神国神社の千畳閣、和、唐様の二つを巧みにゆごうさせた五重塔、
厳島神社のすぐ傍に、厳島神社の修理造営を明治の神仏分離まで、たずさわってきた大願寺、宗像三女神の一人イチキシマヒメノミコトが祀合された、弁財天が祀られています、

天然記念物弥山原始林、の麓にある密教真言宗御宗派の大本山大聖院、明治の神仏分離まで、厳島神社の別当職として祭りを司さってきた名刹です、
安産の神、栗島神社、清盛神社などがあります、

表参道の商店街はお土産通り、漫才師 島田洋七が連発していた”もみじ饅頭”は宮島のもみじ谷のもみじが由来で、宮島が発祥の地だとゆうことを知りました、
以前はこし餡、つぶ餡だけでしたが、抹茶、チョコレート、チーズと多様化していました、

高校野球の広島代表が甲子園で打ち鳴らしている杓子も、宮島の生産で、檜の一枚板で作った長さ7.7m.幅2.7m.重さ2.5トンの巨大な杓子が展示されています、
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宮島の名産 あなごを使った『あなご飯』 甘辛い香りは食欲をさそいます、仙台と並ぶ牡蠣の養殖場、宮島の浮かぶ瀬戸内海には牡蠣のいかだが設置され、新鮮な牡蠣が店頭で炭火で焼いて、焼き牡蠣として並べられていました、
飲食店でも牡蠣料理がメイン、かきフライ、かき酢、焼きがきとかきずくしで堪能しました、

神の島と云われる宮島ですが、島の裏側に戦前、戦中には海軍の基地があり、現在は海上自衛隊の基地があるそうで、表と裏の顔に違和感を感じます、
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by sinanoo | 2007-11-18 14:35 |
広島  平和記念公園 山陽路 (4)
20万人の命と、かろうじて生き残った多くの人々が、いまでも体と心にうけた痛手にくるしんでいます、

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広々とした平和記念公園には、
  あやまちは繰り返さないと誓った 祈りと誓いの碑、
    「原爆死没者慰霊碑」を中心に、

  平和な未来に夢を託した、
    「原爆の子の像」

  資料ひとつひとつに人々の悲しみや怒りが秘められている、
    「広島平和記念資料館」

  母と子の強い絆を感じる、
    「嵐の中の母子像」

  平和えの祈念、死没者追悼空間、
    「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」

  平和の祈りを込めて打つ、
    「平和の鐘」

  ライオンの口からわく浄水、
    「平和の泉」
など平和への祈りでいっぱいです、

 
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    「平和の火」
慰霊碑と原爆ドームの間、平和の池の北側に手首を合わせたような台座があり、その上で聖火が燃えつづけています、

地上から核兵器が消える日まで燃やし続けることを誓い、1964年8月1日に十数宗派から寄せられた(宗教の火) 溶鉱炉など工場地帯から寄せられた(産業の火)を集め点火され、反核の悲願の象徴です、

この火をいつ消すことができるのか、核保有国の身勝手な理屈、核を持った国の傘の下に入り、日本がただ一つの被爆国を認識できないでいる、為政者、
被爆者の怒り、悲しみ、苦しみはこれからもつづくのでしょうか。

   ちちをかえせ ははをかえせ
   としよりをかえせ
   こどもをかえせ

   わたしをかえせ わたしにつながる
   にんげんをかえせ

   にんげんの にんげんのよのあるかぎり
   くずれぬへいわを へいわをかえせ

                   峠 三吉

先日の新聞のコラムに広島に原爆をおとした、B29のポール・テイペッツ機長が92歳で死去したと報じていました、
指揮官としてほぼ一年の準備を重ね「完璧に成し遂げた」。米国では英雄だったのだろう。

爆撃機の「エノラ・ゲイ」は母と同名である。出撃前夜機長が命名した。原爆投下生み出した地獄絵図と母・・・・・。どう考えても結びつかない。      北海道新聞夕刊 (土曜直曲)より



  
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by sinanoo | 2007-11-17 14:26 |
子ども備中神楽  山陽路 (3)
 倉敷阿智神社の秋祭り、神賑で重要無形文化財「子ども備中神楽」が奉納されました、

備中地方(山口県)に古くから伝わる荒神神楽と江戸末期に編纂された、古事記の出雲神話を題材にした、神代神楽が備中神楽を構成しています、

子ども神楽は備中神楽を、次の時代に伝承しようと、子ども神楽の育成指導に取り組んでいるグループによるもので、幼稚園児から中学生までの子供たちが、演じているそうです、
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”トントン トコトントン トコトン”太鼓だけの伴奏で、能や狂言の所作で舞が展開してゆきます、岡山弁での面白い問答あり、大立ち回りありで、以前から持っていた神楽にたいするイメージ「祝辞みたいなものが延々と続き、舞の意味が理解できない」が変わり、子ども神楽のおかげで、わかりやすく、楽しめました、

  大黒さまの舞
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 縁結びの神様、オオクニヌシノミコト 優雅で気品の高い舞でした、
舞の最後に一粒の種より沢山の福がやってくるという、一粒万倍の 「福の種」が大きな袋のなかからまかれました、拾うことができませんでした、残念、福を逃がしたようです、

  恵比寿さまの舞

 商売繁盛の神様として知られるえびすさま、正式にはコトシロヌシノミコトで、海で楽しく鯛を釣っている様子を商売益々繁盛をねがって舞っています、

  鬼退治

 高天原の勅使として二柱の神が、出雲の稲佐の浜でオオクニヌシノミコトと国譲りの談判、コトシロヌシノミコトも交えて相談するが、国譲りに反対するタケミナカタノミコトと大決戦、戦いは激戦をきわめたが、ようやく平定したという神話劇、

  スサノウノミコトの大蛇退治

 高天原から根の国に追われたスサノウウノミコトは出雲の国に舞い降り、そこで老夫婦に出会い8人の娘のうち7人をヤマタナオロチの生贄にとられ、最後のクシイナダヒメまで近く差し出さねばならない、なんとか助けてほしい、とスサノウにお願いしている「おじいさん」と「おばあさん」の岡山弁での、漫才のような掛け合いは楽しめました、

 スサノウノミコトはヤマタノオロチに酒を飲ませ、酔ったところを倒す、という謀ごとを考え、ユーモラスな酒造りの神松尾明神、が八千石の酒を造るように頼まれ出雲からの道中話を面白おかしく、漫才、落語の語り口で楽しくみることができました、

 最後のクライマックス、スサノウノミコトと大蛇の戦いはウルトラマンと怪獣の戦いをおもわせる決闘シーンでした、

 演目は猿田彦命の舞、吉備津能、五行相生などがあります。
 
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by sinanoo | 2007-11-15 16:22 |