温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
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浦河の神社(14) 西舎神社(にしちゃじんじゃ)
 国道235号線 通称天馬街道を進み、左右に広がる牧場をすぎ、JRA日高育成センターにぬける桜並木の手前左側の森の中に鎮座しています。
e0104596_18433762.jpg

       祭神  妙見神 天御中主神 (あまのみなかぬしのかみ)
        相殿  藤波言忠大人命 (ふじなみことただうしのみこと)
             西 忠義大人命 (にしただよしうしのみこと)
       所在地 浦河町字西舎120番地
             社殿 17坪 敷地3反歩 2600本の落葉樹、蝦夷松、20本の桜
       例祭  春5月11~12日  秋9月21~22日

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     明治43年(1910)     西舎妙見神社建立
     大正15年5月(1926)   藤波言忠大人命合祀 藤波神社と改称
     昭和28年8月29日(1953) 西 忠義大人命 を祀る西神社遷座祭
         〃              藤波神社にご神体を遷す 
         〃              神社解体に着手
     昭和28年10月25日 妙見、藤波、西の3体を祀る西舎神社建立
     平成11年(1999)  社殿の屋根の1部補修


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   由緒
 明治40年(1910)国営の日高種馬牧場が開設され守護神として牛馬の守護神として功徳があるとして崇敬されていた、野馬追い祭りの祭事で知られている福島県相馬郡中村の相馬中村神社の祭神妙見神 天御中主神 (あまのみなかぬしのかみ)を勧請し、同43年先住民の遺跡がのこる当時の西舎小学校の南稜、現在の「わらしべ乗馬療育センター」のある場所に西舎妙見神社として奉斎しました。e0104596_2094811.jpg


大正15年(1926)宮内庁御用掛として全牧場の産馬改良、経営に尽力し日高種馬牧場の開設尽力した貴族院議員藤波言忠の霊を西舎の住民をはじめ日高種馬牧場、馬産関係者が協議し、産馬功労の神として西舎妙見神社に合祀し藤波神社と改称しました。

         藤波神社 西舎開村記念誌「拓地百年」より転載


昭和27年春藤波神社が老朽化し改築の要にせまられ浦河町より神社建築材の払い下げの手続きをすすめていましたが、浦河支庁長を9年つとめ日高の開発に貢献した西忠義の徳をしのび日高町村会と日高実業協会が、浦河神社境内に建立した西神社が十勝沖地震で大破し再建に苦慮しており、西忠義と藤波言忠義が日高種馬牧場設置請願いらい親しい仲にあったこともあり、西神社の社殿を西舎に移し藤波神社を撤去し、あらたに妙見、藤波、西の三体を合祀する案があがりました。

日高実業協会、日高町村会との協議がまとまり昭和28年8月29日遷座祭をおこない、ご神体を遷し西神社を解体しました。

昭和28年(1953)10月28日妙見、藤波、西の三体を合祀する西舎神社が建立されました、

e0104596_21371712.jpge0104596_21365512.jpg中央競馬会より寄進された狛犬

  祭神  妙見神 天御中主神 (あまのみなかぬしのかみ)
妙見神は680年中国明州から亀蛇(きだ)にまたがって海を渡り、九州八代郡竹津原に上陸し遷座したのが始まりとされています。
また百済からの渡来説もあります。

妙見宮は北極星と北斗七星からなる北辰信仰がもとで、妙見大菩薩を本尊として密教の真言、天台宗と結びつき信仰をあつめてきました。

明治の神仏分離令、廃仏毀釈にあい、高天原に最初に出現した神で造化三神の一人で、天の中央に座する主宰神で宇宙最高の神である天御中主神と習合して、祭神としました。

 西神社と西 忠義のこと
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明治34年(1901)浦河支庁長として赴任し日高の発展のためになみなみならぬ貢献をしました。
その徳を永久にたたえるため日高実業協会、日高町村会が主体となり日高各町村によびかけ基金をあつめ、昭和7年(1932)浦河神社境内に生存中の西 忠義を西霊社として奉斎、没後
西神社と改称しました。
支庁長に就任した6月21日に例祭をおこなってきました。

昭和27年(1952)3月の十勝沖地震で浦河神社とともに西神社も大破し、以前から神社維持が苦しかったこともあり、年1回の例祭も行わず、くちはてるままになっていました。
このため西 忠義翁の頒徳碑をたてることが提案され、潮見台グランド下の浦河港がみおろせる台地に建立されました。

西神社の遷宮については、前述のとうりです。

 西舎の歴史

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西舎の歴史は明治4年(1871)肥前国彼杵郡からの24戸70人余の開拓のクワ入れからはじまったといえるでしょう。
うっそうとした原始の森、丈余の葦原に囲まれたこの地の開拓は遅々としてすすまず、官からの扶助にもかかわらず幌別川のたびかさなる氾濫、十勝地方からの飛蝗(ばった)の飛来による農作物の被害などで、農耕をはなれ出稼ぎにゆくものや、アイヌとともに鹿猟をするものもがおおくいました。

そのなかで尾田忠平はけんめいに農耕に従事し成果をあげ、札幌本庁より賞与をうけたことで、住民もようやく開拓に専念し。また明治14年(1881)赤心社が開拓にはいったことに刺激をうけ、開拓がすすみ、明治20年以降人口が増加してゆきました。

明治14年(1881)キリスト教集団赤心社が広島、兵庫からの移民50余名が5月19日浦河港に着き、西舎にはいり開拓に着手しましたが赤心社鈴木社長が視察に訪れた8月、造成が進まずわずか数千坪にすぎず、しかも出稼ぎにでており、この地に残るものは2名だったといいます。

開拓についての経験の乏しさ、正確な現地の条件の把握ができず、計画性がかけていたためで、鈴木社長は現地幹部の要望をきき、札幌におもむき耕牛、農耕機械等を購入、新冠牧場で馬を買い入れました
また出稼ぎに出ていた住民の引き戻しに奔走して9月1日には全員がもどりました。

「開拓の業も人を得なければ成果をあげることはできない」という信念でしたが、容易に労働力が高まることにはなりませんでしたが、鈴木社長の宗教的信念はかたく「信仰生活こそがあらゆる障害を克服して前進の指標をあたえてくれる炉火である」ととき、集会をかさね胸襟をひらいて話し合い、新天地で開拓するものの安住性を考え、将来への安定した生活へのそなえをしめしました。

昭和20年(1945)赤心社農場が創立され、開拓の業が軌道にのったことを示すものです。

昭和4年の入植はじまる開拓の苦難」の歴史のなかに今日の西舎の礎がきずかれていったのでしょう。

 西舎神社のなりたちについて

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開拓のため移住した人々がふるさとの神社から分霊をうけて奉斎した神社は数多くあります。

西舎に移住した肥前国彼杵郡の人々と同じ船で杵臼に移住した天草の人々は、開拓に着手したのち住民の心のよりどころ、語り合う場、心をひとつにするために神社を建立し、いまでも神社の例祭などをつうじて住民の連帯感をつよめています。

西舎の神社は明治40年(1910)国営の日高種馬牧場が開設されたのち、種馬牧場の用地内に守護神として福島県相馬郡中村の相馬中村神社の祭神妙見神 天御中主神を勧請し、西舎妙見神社として建立されました。

神社建立には住民も参加したといわれていますが、官主導による神社建立ではないかともいわれています。
日高種馬牧場開設にあたり用地取得のさい長年苦労して開拓した土地への愛着が強く、応じない住民もおり強制買い上げをおこなったといわれ、日高種馬牧場の守護神である西舎妙見神社への信仰の意識がととのっていたとは考えにくいとおもはれます。

その後相殿として宮内庁御用掛として産馬改良につくし、種馬牧場の開設に尽力し、貴族院議員にまで列した藤波言忠を合祀し藤波神社と改称。これには官のちからがあったのかともうけとれます。

また浦河支庁長として、日高の経済産業にちからをつくした西忠義を日高町村会と日高実業協会が祀った西神社を、合祀のかたちではなく西神社を藤波神社に遷宮し西神社として取り壊し、妙見、藤波、西の三体を合わせ祀る神社を建立したもので、西舎神社として奉斎しました。

このなりたちをみると、神社の建立にあたっての官と財のおもわくがみえかくれし、強力なあとおしが感じられます。

西舎神社は浦河の神社のなかで景観といい、社殿のつくりといい、上位に位置する神社です。
このじせつがら神社の維持管理に、ご苦労があるとはおもいますが、町の歴史のなかに組み込まれている神社ですので、ぜひこのかたちをのこして守っていただきたいと、願っています。

わたしを含め神社に関心をもっている人達も多数います。応援しています。

        引用文献    拓地百年

  浦河の神社シリーズはここで一時掲載を中断し春の例祭が始まる5月ごろから取材をはじめ、掲載します。
  すでに掲載した鱗別稲荷神社、杵臼神社、ちのみ稲荷神社については訂正加筆のうえ
あらためて掲載します。






  




 


                    
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by sinanoo | 2009-02-15 02:12 | 浦河の神社
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