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温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
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浦河の神社 (12) 荻伏神社
浦河の神社 (12) 荻伏神社_e0104596_17483218.jpg

国道235号線を札幌方向に進み元浦川にかかる荻伏橋を渡り、右折して道道荻伏停車場線にはいり、さらに進むと荻伏神社せんと交わり左折して大鳥居をくぐると、元浦川地区を一望できる山の中腹に鎮座しています。

浦河の神社 (12) 荻伏神社_e0104596_1759313.jpg

  旧社格 村社 神饌奉幣料供進神社   神社本庁包括神社  

  祭神 大国魂神(おおくにたまのかみ)  北海道国土の神
      大己貴神(おおなむらのかみ) 大国主の別名 国土神
      小名彦神(すくなひこのかみ) 大国主とともに国造りにつとめたが、常世の国へ           開拓に従事する百姓を救うため医薬、禁厭の法、酒造の技を授けたと云う

 明治2年明治天皇の詔により北海道の守護神、開拓の神として札幌神宮(いまの北海道神宮)に祀られたもので、昭和12年(19379)札幌神宮から分霊を受けました。
  所在地 浦河街荻伏438番地
  例祭   春 4月第1土曜日~日曜日 秋 9月第1土曜日~日曜日
浦河の神社 (12) 荻伏神社_e0104596_18405476.jpg 
浦河の神社 (12) 荻伏神社_e0104596_18434822.jpg

浦河の神社 (12) 荻伏神社_e0104596_18464264.jpg浦河の神社 (12) 荻伏神社_e0104596_18462026.jpg

  由緒
大正13年(1924)5月3日御大典記念(大正天皇即位)に荻伏市街吉田宅裏に地域住民の労力と寄付金により記念園としての神社を建立しました。

荻伏村は明治15年(1882)元浦川流域に赤心社の移民83名が移住し本格的な開拓を始めた村で、それまでは和人16人先住民53人と記されており、移民のほとんどはキリスト教徒で明治19年(1886)に元浦川キリスト教会が創立されており。信仰の面からは神社の必要性はありませんでした。

1930年代から政府は神道は宗教ではないとの解釈にたって、憲法で定める「信教の自由」には矛盾しないと強弁して、神社崇拝の国民への強制の度合いが高まってきました。
昭和6年(1931)におきた満州事変、昭和12年(1937)の日中戦争と戦火が拡大するにつれて国家神道は戦争遂行の精神的支柱」として重視されるようになってきました。
荻伏村も政府、軍部の要請で出征兵士の歓送、戦勝祈願に神社の必要性に迫られ、昭和12年(1937)村社造営奉賛会が組織され昭和13年(1938)3月社務所跡地を建立場所と定め村民536人の手で整備し完成、社殿の建設費用も村民から拠出されましたが、建設費用に届かず、見送られました。

軍部が台頭し戦争の気運が高まる昭和16年(1941)社殿の位置を現在地に変えて荻伏神社の創立許可書を内務大臣に提出、同年8月認可されてふたたび住民の労力で整地し、村費を充て着工し同年11月に完成しました。

神社の敷地2町3反4畝(7290坪)は赤心社から寄贈を受けたものです。赤心社はキリストキ教徒を中心にした会社で、キリスト教は1神教で他の宗教と関わることをタブーとしており、この土地の寄贈については、当時の社会情勢からして断腸のおもいでの決断だったとおもわれます。

昭和17年(1942)3月無格社荻伏神社を村社に昇格する申請を内務大臣に提出8月27日に認可が下り、さらに同年9月北海道長官より神饌幣帛料供進神社に指定され、国家神道を担う神社になりました。
浦河の神社 (12) 荻伏神社_e0104596_20155382.jpg
浦河の神社 (12) 荻伏神社_e0104596_20174296.jpg

  昭和16年(1941)に寄贈された狛犬、境内に置かれています。

浦河の神社 (12) 荻伏神社_e0104596_2022502.jpg

神社につづくなだらかな参道、ここから元浦川地域が一望できます。

終戦によりGHQの命令により国家神道が廃止されたため荻伏小学校下の地域で管理運営されてきましたが、昭和31年(1956)の浦河町との合併、字の変更、また20年前から人手不足と神社までの距離がながいことを理由に市街地自治会が神社区域から脱退し、現在は元浦川の3自治会で運営しています。
浦河の神社 (12) 荻伏神社_e0104596_20381682.jpg
 
 祭りにはこども神輿が街をにぎやかに練り歩き、祭りの雰囲気をもりあげています。
こども相撲も行われています。


荻伏神社の例祭と同じ日に荻伏市街地自治会は「市街地祭典」を生活改善センターを催し住民が集っています。

荻伏神社の歴史は激動の日本の政情に翻弄された一面を持っているとおもいます。
荻伏神社は私がたずねた浦河の神社のなかでも神社の持つ荘厳さ、選りすぐりぬかれた神具、ロケーションのよさは3本の指にはいります。
神社信仰とは別に住民が集い、ふれあう場所を神社のなかに求めることも大切なことかもしれません。

  修築
 浦河の神社 (12) 荻伏神社_e0104596_2173017.jpg
昭和49年(1974)2月社殿が老巧化したため、荻伏神社改築期成会が結成され、開拓記念園付近に移転を計画しましたが、費用の関係で中止し、篤志家75人の寄付により社殿の大補修を行い、鳥居の移転、急斜面な参道の改修、神社まで通ずる車道の整備、篤志家の寄贈による鉄製の大鳥居を建立しました。


                引用文献  荻伏100年史  風雪栄光の百年









  
           
by sinanoo | 2008-12-03 21:34 | 浦河の神社
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