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温泉めぐりと神話への旅 
by sinanoo
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天孫降臨の里 (7) 高千穂神社
天孫降臨の里 (7) 高千穂神社_e0104596_18502112.jpg

       国史見在社  旧村社 神社本庁包括 別表神社

       祭神 高千穂皇神(たかちほすめかみ)
             日向3代の皇祖神とその配偶神
              天津彦火瓊々杵命(アマツヒコホノニニギ)
              木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)
              併せ6神
           十社大明神〔じっしゃだいみょうじん)
             三毛野命とその妻子神
              三毛野命(ミケヌノミコト)
               併せ10神
       例祭日 四月十六日

天孫降臨の地高千穂の中心に位置し、天慶年間に高千穂地方の領主だった高千穂太郎政治が高千穂18郷88社の総社として崇めて以来人々の崇敬をうけています。
日本神話に登場する日向三代の皇祖神を祭神とし、又神武天皇の兄神ミケヌノミコトとその妻子神「十社大明神〔じっしゃだいみょうじん)」として祀ったのが始まりとされています。明治6年三田井神社と改名、同28年高千穂神社と改め現在にいたっています。

鎌倉時代源頼朝の名代として秩父の畠山重忠が天下泰平を祈って代参した際に奉納した、鉄製狛犬が国の重文に指定されおり、安永7年(1778)に建立された本殿も重文に指定されています。
境内には重忠が手植えしたと伝えられる樹齢800年の杉は「秩父杉」と呼ばれています。


 祭神 ミケヌノミコト
ミケヌノミコトはニニギノミコトから天孫族4代目にあたる、神武天皇の三番目の兄にあたります。古事記、日本書紀によると、東征した日向軍を率いたのは神武の長兄イツセノミコトでしたが、生駒山のの麓で敗北しイツセノミコトは矢傷を負って死にます、いったん熊野に迂回しますがこの間に後継者争いがあったものとおもわれ、神武が後継者に選ばれたことで次兄のウナヒノミコト熊野の海に入ったと記されています。
三兄ミケヌノミコトについては「常世の国に行きたもう」と記され、常世の国とは死後の世界を意味し、ミケヌノミコトも次兄と同じく海に入ったと解釈できます。

高千穂神社にはミケヌノミコトは大和征服を終えてから故郷高千穂にかえったと、記紀とは違った伝承があります。しかしミケヌノミコトは、後継者あらそいにやぶれ、故郷に帰ったとみるのが自然だとおもいます。

天孫降臨の里 (7) 高千穂神社_e0104596_20142993.jpg

ニニギノミコトの晩年には天孫族は高千穂より南東の西都原(サイトバル)に拠点を移しており、二代目ヒコホホデノミコト、三代目のウガヤフキアエズノミコトのころには南九州全体を支配しており、天孫族発祥の地である高千穂は支配力が手薄になっており、国つ神サルタヒコ一族も東征についていったにちがいなく、その間にコウロギ一族のなかでもサルタヒコ路線に反発する荒ぶる神鬼八一族が、天孫族に反逆ののろしをあげこの地を占領していました。

ミケヌノミコトはこの荒ぶる神を倒してふたたび高千穂を支配下におきました。

  ミケヌノミコトが鬼八を倒している木像

   「鬼八伝説」
高千穂にはミケヌノミコトが鬼八を殺した話が各所にのこっています。
ミケヌノミコトに殺された鬼八は何度殺されても生き返るので、ミケヌノミコトは首、胴、手足をバラバラにしたのですが、鬼八は執念深く、殺されてもその怨念は強く霜を降らせて農作物に害を与えるなど、さまざまな祟りをしました。
高千穂の人々は鬼八のために首塚、胴塚、手足塚をつくりその霊をなぐさめることにしました。
伝承ではその霊をなぐさめるために、天正年間(1573~92)まで毎年16才になる少女を生贄として奉げたといいます、岩井川の城主甲斐宗摂があまりにもかわいそうだといって,代わりに4×4=16頭の猪を奉げることにしたといいます。
鬼八が猪の肉をたいへん好むということは、やはり鬼八は狩猟採集を主とした縄文人であったからでしょう。
鬼八伝説は阿蘇にも伝えられています。

これらの鬼八伝説はこの地方で長い間くりひろげられた天孫族と、土着勢力との抗争を物語るもので、政治権力によってつくられた記紀によって、天孫族の活躍の伝説になったと云えるのではないでしょうか、この伝説は抗争に敗れた、鬼八一族の悲哀を伝える伝説なのでしょう。















             
by sinanoo | 2008-08-14 21:00 | 神社紀行
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