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○変遷
天武天皇は神の制度が乱れたことから、思想の乱れ、政治の乱れが始まったと考え、天皇の権威を全国民的規模に高めるために、いままでよりはるかに強力な天皇の祖先神をつくり、それを全国民の崇拝の対象としなければならない、つまり神道の国家主義改革、すなわち天皇の祖先神を他民族の祀る神よりもはるかに上位におかなければならない、と考えました。 海人部(アマベ)によって祀られた、1地方神社にすぎなかった伊勢神宮の位を上げ国家の神としたのです。そして伊勢神宮の建造がはじまったわけです。 この天武天皇の宗教政策は、次の持統天皇に引き継がれ、20ねんごとの遷宮は持統天皇の時にはじまりました、 こうした伊勢神宮の国家の神社への昇格には持統6年(692)天皇の伊勢行幸が決定的な役割を果たしたといわれています。 中世になって、朝廷の衰退にともない皇室の氏神から日本全体の鎮守として武士にも崇敬され、神仏習合の教説においても神道側の最高位の神とされました。 戦乱の激化とともに、神宮領は侵略され経済的基盤をうしなった神宮は衰退し、遷宮の中止をよぎなくされました、 江戸時代になって、お蔭参りが流行し、多くの民衆が短期間のあいだに神宮にお参りしました。 明治政府により国家神道の頂点の神社と位置頭付けられました、 戦後は神社本庁より全国神社の本宗と位置づけられました。 皇大神宮(内宮) 祭神 天照大神 ご神体 八咫鏡(ヤタノカガミ) 三種の神器の1つ 大鳥居 宇治橋 鳥居の木材は檜 20年ごとにおこなわれる式年遷宮で解体された皇大神宮の棟持柱を使用いている、 宇治橋 俗界と聖域との架け橋でこれも20年ごとに造営がおこなわれる。遷宮の4年前 橋を守るための流れ止め 川底の玉砂利がキラキラと眩しいくらいです。 手水舎 神楽堂 御正殿 生絹の御幌(みとばり)がかけられています、その先にご正殿があります。撮影禁止です。 御正殿の横からの写真です、左が御正殿です。 別宮 荒祭宮 (アラマツリノミヤ) 天照大神の荒魂をまつる宮 荒魂(あらたま) 和魂(にぎたま)とは神の霊魂がもつ2つの側面で、荒魂は神の荒々しい側面荒ぶる魂で、天地異変を起こしたり病をはやらせたり、人の心を荒廃させて争いに駆り立てる神の働きです。神の祟りは荒魂の表れです。 和魂は雨や日光の恵みなど、神の優しく平和てきな側面であり神の加護は和魂の表れです。 別宮 大山衹神社 (オオヤマツジンジャ) 神路山の守り神 別宮 子安神社 (コヤスジンジャ) 祭神 木華開耶姫命 (コノハサクヤヒメノミコト) 宇治館町の産土(ウブスナ)の社といわれ安産の神様 コノハサクヤヒメノミコトはニニギのミコトの妻です。安産の神になっているとはおどろきました。
by sinanoo
| 2008-05-29 18:58
| 神社紀行
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