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道々348号線に面し、下野深地域の山側にある野深生活館の横手に鎮座しています。
野深神社 (のぶかじんじゃ) 創 祀 明治31年(1898)9月12日 祭 神 天照大神 (アマテラスオオミカミ) 天思兼命 (アマノオモイカネノミコト) 所在地 浦河町字野深186番地 社 殿 3坪 敷地面積 650坪 社殿様式 流造 例 祭 春 4月12日 秋 9月12日 祭神 天思兼命( アマノオモイカネノミコト) 神話に登場する神で天照大神が岩屋に隠れたとき、八百万の神々が天安河原に集まり会議」を開いた時にこの神々の議長として深くかかわり、天照大神を岩屋から引き戻したとして智謀の神いわれています。 由緒 明治31年(1891)9月12日 当時野深106番地山下源七の宅地の祠に屋敷神として祀られていた天照大神を部落の総意で現在地に1坪の神社を建立して祀り野深神社と称しました。 創建当時わ姉茶地区、上野深地区も氏子として奉祀していましたが、明示32年(1899)に姉茶神社、大正9年(1920)に上野深神社が建立されて神社区域から離れたため、現在では下野深地区の神社となっています。 明治35(1902)年11月4日 社殿1坪半を増築し天思兼命を増祀しました。 昭和33年(1958)9月27日 日高地方を襲った台風22号により社殿が倒壊し翌34年(1959)9月11日地域住民に寄付を募り、3坪の社殿を建立しました。 昭和55年(1980)篤志家の寄付を受けて社殿内部の塗装、屋根の葺き替えを行い、鉄製の鳥居を建立しました。 棟札 明治35年(1902)に社殿を増築したさいに書かれた棟札が残されています。 表には増祀した天思兼命、手置帆負命(タオキホイノミコト)、彦狭智命(ヒコサジノミコト)、世話人として13名の名が記されています。 裏面には明治35年11月4日上棟式執行。 棟梁 長谷川太一郎、 大工 安達浅次郎 木挽 上山藤蔵 高岸三吉と記されています。 神社境内に白龍神社が鎮座しています。 白龍神社の由来 松浦武四郎の記録によると野深には13戸のイカペッコタンとヌプカコタンの二つの大きなコタンがあったとしるされています。 口碑伝承 「この野深コタンの真向かいに高いポロイワがある。この山は神様の山、カムイヌプリとよんでいた。この山の中腹に沼があり、昔コタンの人達は木を切ったり仕事をしていた。 あるときコタンの酋長の娘がこの沼に水を汲みに降りていったがなかなか帰ってこないので見に行くと息絶えて倒れていた。 タンカをつくっりそれに乗せてコタンに連れ帰ったが、さっぱりよくならなかった。酋長が無理にそのわけを聞くと、息絶え絶えの中から次のような恐ろしいことを語りだした。 「水を飲もうと沼に降りてゆくと、沼のなかにに流木のような大きなものがかすかに動いており。よく見るとまっかな鶏のとさかのようなものを頭に付けた怪物がぐっと首をもたげて私を見つめていたのです。その瞬間気絶したのです・・・・・」 言い終わると息をひきとった。 その瞬間にわかに暗くなり物凄い雷雨となった。それもほんの少しのことで、また空は明るくなりもとの静かなコタンとなった。 コタンの古老達はこの不思議な沼の怪物こそ白い龍神様ではないかということになり、コタンの守り神として沼の淵に祠をたてて祀った。」 祠はいつの日か沼の淵から麓に下ろされアイヌの守り神として祀られてきました。 その後野深の現共栄産業の裏手にある大樹の下に祠が移され、例祭には多く名アイヌの人々が集まり祭りの儀式が行はれていました。 生け捕りにしたクマの霊魂を神の国に送り返す、アイヌ民族の伝統儀式「イオマンテ」もとり行われていたと云われています。 祭りを司っていたアイヌの人々の多くが高齢化して祠の存続がきびしくなり野深神社の敷地に神社を建立し白龍神社として奉祭しました。 例祭は野深神社と同日に行い、維持、運営は自治会が行っています。 例祭 祭り当日は神社横にある生活館の前庭に地域住民があつまり、模擬店が出店して祭りをたのしんでいます。 こども神輿も部落をねりあるき、祭りの賑わいに花をそえています。 参照引用文献 浦河町史 コタンを訪ねて(山本融定)
by sinanoo
| 2009-10-23 20:41
| 浦河の神社
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